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ハミルトンにベッテル、プロストも。
不死鳥ラウダを追悼したモナコGP。 

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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photograph byGetty Images

posted2019/06/02 17:00

ハミルトンにベッテル、プロストも。不死鳥ラウダを追悼したモナコGP。<Number Web> photograph by Getty Images

ラウダ(左)の誘いでメルセデス入りしたハミルトンは2014年に王座に。その後も通算5度までタイトルを積み上げている。

ハミルトンがかぶったヘルメット。

 そのうちのひとりが、ルイス・ハミルトンだった。ラウダ逝去の一報を聞いたハミルトンはショックのあまり、モナコGPで予定されていたFIAの記者会見を欠席したほどだった。

 ハミルトンにとってラウダは、単にチームのボスというだけでなく、人生の恩人だった。ラウダがメルセデスの非常勤会長に就いた'12年、チーム再建の切り札として白羽の矢を立てたのがハミルトンだった。ハミルトンは当時、毎年優勝争いをしていたトップチームのマクラーレンに所属していたものの、'08年から4年間タイトルから見放されていた。

「一緒にチャンピオンを目指そう」

 不死鳥からの電話は、ハミルトンの心を大きく揺さぶり、電撃移籍を決断。その後ハミルトンはメルセデスで4度のタイトルを獲得し、通算で王座獲得数は5度に達している。

 ラウダが亡くなった週末。モナコGPで、ハミルトンは現役時代のラウダと同じデザインのヘルメットをかぶって優勝。天国のラウダに勝利を捧げた。

ベッテルもまた敬意を表した。

 フェラーリのセバスチャン・ベッテルもまた、モナコGPでラウダに敬意を表したデザインのヘルメットをかぶって戦った。

 昨年ラウダが手術したことを聞いたとき、ベッテルはラウダに手紙を送り、見舞った。メルセデスの重役であるラウダはベッテルにとってはライバルチームのボスでもあるが、フェラーリ・ドライバーとしては大先輩でもあった。

「ニキがフェラーリにいたときは、どうだったのか尋ねたんだ。もっと話したいことがあったのに……」

 ラウダの人生は、3度チャンピオンに就いたという輝かしい一面を持つ一方で、チームと確執を繰り返した暗い過去もあった。

 大事故から生還した'76年はジェームス・ハントとタイトルを賭けて日本でのシーズン最終戦に挑んだ。

 しかし、舞台となった富士スピードウェイは大雨。レースは強行されたが、ラウダは「レースができる状況ではない」と反旗を翻して、スタート直後にピットインし、事実上ボイコット。レースを続行したライバルのハントが3位でフィニッシュしたため、ポイントリーダーだったラウダは逆転で王座を逃した。

 この一件で、チームの総帥だったエンツォ・フェラーリとの関係に亀裂が入るが、信念を曲げることをよしとしなかったラウダは翌年、雪辱のタイトルを置き土産にフェラーリを後にした。

 移籍したブラバムでも、チームの戦闘力がないと感じた'79年には、シーズン途中にもかかわらず、引退を決断。当時チーム代表だったバーニー・エクレストンに面と向かって「もう十分だ。今日で引退するよ」と言って、F1を去った。

 開幕から勝ち星に恵まれないベッテルはラウダの死に、いま何を思うのだろうか。

【次ページ】 プロストが語る「最高の時間」。

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