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51歳のプロアドベンチャーレーサー。
“鬼軍曹”田中正人、風まかせの人生。 

text by

千葉弓子

千葉弓子Yumiko Chiba

PROFILE

photograph byNanae Suzuki

posted2019/05/02 09:00

51歳のプロアドベンチャーレーサー。“鬼軍曹”田中正人、風まかせの人生。<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

世界でも珍しいプロアドベンチャーレーサーの田中正人。妻の靖惠さん、娘のあきらちゃんと。

経済的にはどうやって成立しているのか。

 マイナースポーツでの活躍を夢見る若い世代のために、聞きにくいことを少し聞いてみた。いま競技費用と生活費はどのようにまかなっているのだろう。

「グレートレースやグレートトラバースといったNHK番組でのランニングカメラマンが主な収入源で、2週間ほどの撮影が年に何回かあります。この仕事を専門にしている人たちもいる中で、僕に声をかけてもらえるというのは有り難いこと。だからこそ競技者としての経験を活かしながら、プロ意識を持って撮らなければといつも思っています」

 とはいえ、ランニングカメラマンの仕事は全収入の3割程度なのだとか。ほかにも国内大会のプロデューサーや企業向けの講演会、地図読みのワークショップやテレビのバラエティ番組の監修など、さまざまな仕事をこなしている。現在の年収は「部長とか取締役といった大きな役職がついていない一般会社員の平均くらいかな」と話す。年々、少しずつ右肩上がりになっているという。

 日本初のプロアドベンチャーレーサーになるということは、国際舞台での活躍を目指すだけでなく、競技を続けていくための方法を切り開くことも意味しているのだ。

妻はプロデューサー、ひとり娘はサポーター。

 人づきあいの苦手な田中に代わって、スポンサー企業との細かなやりとりは妻の靖惠さんが行っている。ギアやウエアは同じアウトドアメーカーから15年以上サポートを受けている。藪を漕いだり川を渡渉したりするため消耗が激しく、1回のレースでシューズ1足、レインウエアは2着がボロボロになってしまう。

 靖惠さんは大手企業で通訳の仕事をしていた2001年に田中と結婚。アドベンチャーレースがどんなものか全く知らぬまま、「南アフリカに行けるらしい」と知人に紹介され、通訳としてレースに一度だけ帯同したのが馴れそめだ。

 アウトドアとはまったく無縁だった靖惠さんは、プロアドベンチャーレーサーの妻として、どう夫を支えたらいいのか悩んだ。

「当初、妻は自分も生活費を稼がなければと、地元の旅館でアルバイトをしたり、子どもの英会話教室を開いたりしていたんです。でも僕は競技のサポートをしてほしかったんですよね」(田中)

 夫婦の方向性が定まると、靖惠さんはチームのプロデューサーとしての役割を担うようになる。主な仕事は大会主催者との英語でのやりとり。メンバー4名が競技に専念できるようにと、飛行機や宿の手配、競技規則の確認などを行う。

 競技に必要なウエアや道具、マウンテンバイクなども一緒に飛行機で運ぶため、ときには荷物の超過料金が30万円になることもある。その度に、靖惠さんは愚痴をこぼしながらも、笑って切り抜けてきた。

 11歳になる長女の徳(あきら)ちゃんも立派なサポーターだ。レース出発前には、レース中の行動食となる「柿の種」を、口の広いペットボトルに詰め替える。こうしておくと、自転車に乗りながらでも片手で食べられるからだ。レース後には報告会の会場でチームの支援グッズをPR。今回の取材にも快く応じてくれた。

【次ページ】 「実業団に」という申し出を断った理由。

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田中正人

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