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久米一正がサッカー界に遺したもの。
「情熱とビジネス感覚の両立を」 

text by

西川結城

西川結城Yuki Nishikawa

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posted2018/11/30 17:00

久米一正がサッカー界に遺したもの。「情熱とビジネス感覚の両立を」<Number Web> photograph by AFLO

2010年のJ1優勝は、久米氏にとってはじめてのタイトルだった。あの時の嬉しそうな顔が忘れられない。

面と向かって伝えられた最後の言葉。

 久米氏の体調がすぐれないという噂を、最近はよく耳にしていた。私自身も、実は久米氏の変化に少しずつ気づいてはいた。

 今年のはじめ、名古屋で馴染みにしていたレストランでばったり遭遇した時に、その表情にはあまり英気がないように見えた。思わず「体調大丈夫ですか」と聞いたものの、久米氏はいつものように「何いってんの、ちょっとだけ休んでいたけどもう元気だから!」とこちらの心配をはねのけた。

 最後にゆっくり時間を過ごしたのは、ロシアW杯直前のことだった。西野氏が代表監督として戦うことになり、あらためて静岡まで話を聞きに行った。コーヒーを飲み、その後中華料理屋に移り話し続けた久米氏。ただ、いつもは生ビールに焼酎と大好きだったお酒も、ビール瓶から注がれた小さなグラス一杯しか口にしなかった。運ばれてくる料理も、少し食べては箸を置く。

 たくさんの楽しい話といつもの心遣いに感謝の思いだったが、明らかに以前の姿ではなかったことに、とても胸が詰まる思いがこみ上げてきたことを覚えている。もちろん、病気のことをこちらから切り出すことなど、できなかった。

「ホテルまで送るから」と言われ、同じ車に乗り込んだ。雑談も10分ほどして、すぐに到着。車を降りた。窓越しに言われた一言。「西ちゃん、これからもいい記事頼むよ。また行こうね」。これが、久米氏から面と向かって伝えられた最後の言葉だった。

情熱とビジネス感覚の双方が必要なのだ。

 個人的な話も交じってしまったが、どうかお許しいただきたい。なにせ、実は私の結婚式にも出席していただいた、感謝のたえない人物でもある。選手や監督と違い、普段世間には出ない立場の人間。

 だからこそ、故人のご冥福をお祈りする記事であると共に、我々記者や関係者とどんな接し方をしてきたかを紹介することで、読者の皆さんに久米氏の人間らしさが伝われば幸いである。

 チームを強化する。選手を獲得する。そこにさまざまな競争や駆け引きが存在するのは、どの世界も変わらない。勝負の世界には、清濁両方が隣り合わせ。濁ってばかりでは、勝利の女神は微笑まない。清く突き進むばかりでは、強豪ひしめく戦いを制することはできない。

 久米氏は愚直で、したたかだった。清濁併せ呑む。その両面がしっかりと相交わっていたからこそ、サッカー界におけるプロGMの先駆者に成り得た。優しくて、強い。そんな人間に、人は集まってくる。彼が以前記した著書の題名は、『人を束ねる』。まさに、生き方そのものだった。

「優れた後任を育てたい」という熱意も持っていた。最近ではサッカー畑しか知らずにフロント職に就く者もいる。ビジネス界での常識だけを携えてサッカー界に移る者もいる。

「サッカー人としての情熱。そしてビジネスマンとしての感覚。どちらが欠けても、この仕事(GM)は成功しない。この世界は、そんなに簡単じゃない」

 あまりにも早すぎる最期を迎えた久米一正が、後世のサッカー界に遺したかった言葉だったように感じている。

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