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「本気の夏」は何に対する本気か。
高校球児時代の自分と甲子園の距離。 

text by

安倍昌彦

安倍昌彦Masahiko Abe

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photograph byHideki Sugiyama

posted2018/08/23 07:00

「本気の夏」は何に対する本気か。高校球児時代の自分と甲子園の距離。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

プロを目指す選手、甲子園を目指す選手、どちらも目指さない選手……。みんな含めて高校野球なのだ。

甲子園に現実味を感じていなくても。

「これからだったら、夏の終わりの夕暮れとか、それまでとちょっと違うヒヤッとした風が吹いてきたりすると、あー新チームの練習の帰りにこんな風吹いてたなぁ……今年も激しい季節をひとつ越えたなぁって、あの頃にポンと帰れる。べつに、甲子園で暴れたとか勇ましい思い出はなんにもないけど、本気で頑張ってたから“帰る場所”がある。あれが、中途半端な場所だったら、思い出すのも気持ちわるくて帰れないんじゃないかなぁ」

「一生懸命やってましたよ、ええ、そりゃあ一生懸命やってた。でも、どこかで……頭の中のどこかで、だけど甲子園なんて無理だわ、オレたちには……。そんな退いた思いもあるんだよ、絶対。

 だけど、だけどなんだろねぇ、それでも眠いのに起きて練習に行く。甲子園なんてないってわかってるのに、ノックの次のボールに『このやろーっ!』って向かっていく。なんだろうねぇ、わかんないね。たぶん、ずっとわかんない。もしかしたら、青春? そういえば、言わなくなったねぇ……青春って」

あの涙はなにが流させたのだろうか。

 花の10代後半。やりたいこと、キラキラして見える場所、あれもこれもちょっとのぞいてみたい気持ち。大人が考えるほど実はノンキじゃない。なにかと揺れ動くお年ごろの3年間、いったいなぜ、何が楽しくて、何をめざして「高校野球」と組み合ってきたのか? 最後の夏、東京のベスト8を逃して敗れたあと、私は、球場のトイレにこもって長いこと泣いた。

 隣の“箱”で泣いていたファーストが1時間で出ていって、そのあとさらに1時間も泣いて、球場の人に「閉めるぞ」と怒られて、ようやく帰ったことは覚えている。

 甲子園をめざしたこともなく、そういう意味では、決して“本気の夏”ではなかったはずの私の、あの大量の涙はいったいなんだったんだろう。

 あの涙は、なにが流させた涙だったのか。いったい、何を流した涙だったのか。

 まもなく、「本気の夏」が終わる。

 私は、高校球児を卒業して40年以上も経った今ごろになって、ようやく「本気の夏」を過ごしているような……そんな気もしている。

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