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日本にいれば勝てるとしても……。
池田勇太は米国挑戦を諦めない。 

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桂川洋一

桂川洋一Yoichi Katsuragawa

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photograph byYoichi Katsuragawa

posted2018/03/31 07:00

日本にいれば勝てるとしても……。池田勇太は米国挑戦を諦めない。<Number Web> photograph by Yoichi Katsuragawa

日本では勝てる、アメリカでは勝てない、というまさに世界との狭間で池田勇太はもがいている。

「200ドルのパターで2億円稼ごうよ」

 池田は今季、新しいスイングづくりに取り組んでいる。本人が簡単に説明するところでは「ヨコ振りからタテ振りに変えた。飛距離を落とさず、ボールの曲げ幅を抑えるためにどうしたらいいか考えたら、結果的にそうなった」という。

 今年は同い年のフィジー人キャディ、英語も日本語も堪能なラジーフ・プラサード氏を隣に据えた。キャディバッグの中のウェッジの本数を増やし、アプローチショットを磨く。練習中に耳をすませると「オレのボールだけ……ゴロゴロって転がって行っちゃうような気がするんだよ」と弱音を吐いては、スピンをかけようと必死になっている。

 日差しの強い米国で、これまで試合中にはかけてこなかったサングラスでのプレーもテストした。3月のフロリダでは、大会前に近隣のゴルフショップに足を運び、一般客に交じって自らパターを買って実戦で試した。

「そこまでしてでも、何とかこう自分できっかけを作りたい。やっぱり……それくらい“やってやろう”という気持ちがある。パターを買った時、『200ドルのパターで2億円稼ごうよ』という話を(サポートスタッフと)したんだ」。ゴルフ少年だった頃の純な思いを呼び起こす場所、そのひとつが彼にとっては米国だった。

同学年の宮里藍の引退に驚き。

 1985年生まれの池田は、宮里藍や横峯さくらと同学年である。

 昨年5月、彼は米国で聞いた宮里の現役引退の発表に驚きを隠せなかった。「同級生が引退。俺はいまからどんどん頑張ろうと思っているのに……」

 32歳。同じプロゴルファーといえど、男女の生涯設計はこれほど違う。

 若くしてトッププロになった自負はある。しかし今の池田はそこを誇ろうとしない。「20代はもうね、アマチュアのまま、勢いと若さでやってこれた。それが衰えてくるのが30代。なんか今、初めてゴルフの基礎作りをしているような気分。40代になって、50くらいでやっと自分の一番いいゴルフができるんじゃないかなとも思うんだ」と笑う。

 そんなキャリアプランは、幼い頃から憧れたヒーローの影響もあるはずだ。「やっぱり、多少は重なっていると思う」。今年1月、71歳になった尾崎将司。池田が知るジャンボの栄光時代は、スランプを乗り越え、アラフォー、アラフィフで迎えた2度目の黄金期。尾崎がプロ通算100勝を達成した1996年11月、池田は10歳だった。

「とんとん拍子に行く選手もいるけれど、そういう壁みたいなものに、当たりながら、叩かれながらやっていくというか。それでもここから這い上がっていけるかだと思う」

 再びやってくるマスターズの舞台。ただ今年を最後にするつもりもない。終着点は自分で決められるのがプロゴルファー。もう一度、心の底から涙を流せる瞬間を待っている。

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