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男子バレー元エース33歳の新天地。
なぜ越川優はビーチに転向したか。 

text by

市川忍

市川忍Shinobu Ichikawa

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photograph byMakiko Nawa

posted2017/12/12 11:00

男子バレー元エース33歳の新天地。なぜ越川優はビーチに転向したか。<Number Web> photograph by Makiko Nawa

屋内コートからビーチへ。越川の決断は何より、五輪への想いの強さからだった。

北京後にイタリア移籍、しかしロンドン五輪落選。

 越川にとって、殺気立った、極限の場所でプレーすることは快感でもあった。今度はあの舞台で、勝って喜びを味わいたいと強く願うようになった。

 北京での経験が、その後の越川の決断に大きく影響を及ぼしたのは言うまでもない。

 死にもの狂いの相手に勝つために、自身のプレーを磨くために、あえて険しい道を選んだ。北京オリンピックの翌年、イタリア・セリエA2部リーグのパドバに移籍する。パドバの1部昇格の立役者となり、3シーズン、イタリアでプレーしたあとに帰国した。

 しかし、ロンドン・オリンピックでは、越川はエントリーされず、世界最終予選兼アジア予選で出場権を逃す。そして'15年には全日本の選考から外れる。直前のV・プレミアリーグで、1931年創部のJTサンダーズを悲願の初優勝に導き、最高殊勲選手賞を獲得していた越川が選考から落ちた。疑問を抱いたチームはゼネラルマネジャーを通じ、強化委員会に理由の説明を求めたが、返ってきた答えは「選考しない理由を説明する慣習はない」という一言だった。

リオも「最終選考入りはないだろうなって」。

 国際舞台での経験や自身の技術を若い選手に還元しようとする越川の姿が、首脳陣には出過ぎたものに映ったのではないか。自分の考えを臆することなく主張する越川のスタイルが、全日本の保守的な体質に合わなかったのではないか。選考から漏れた理由については当時、様々な憶測がささやかれた。しかし、越川は意外なほどさばさばと振り返る。

「'16年、リオ(オリンピック)の年に候補選手には入りましたけど、発表の時点で、もう最終選考入りはないだろうなって思っていましたね。もし本当に呼び戻す気があるなら、監督から連絡があるはずだけど、それもなかったから……。でも、この世界って、そういうものじゃないですか。代表はあくまで『選ばれる場所』。自分がこれまで全日本にいた間にも、実力があるのに選ばれない選手はたくさんいました。逆に、結果が伴わなくて、技術が未熟でも、これから伸びるであろうという希望枠で入る選手もいた。そのときの監督に選ばれた選手じゃなきゃ、日の丸は付けられないのが全日本という場所なんですよね」

【次ページ】 転向当初は不安ばかりだったが生活の基盤も立った。

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