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日本マラソンのレベル低下に一石!
設楽悠太は「攻めて」東京五輪へ。
posted2017/07/19 08:00
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph by
Manami Takahashi
低迷続く日本男子マラソン界の、希望の光になることはできるのか――。
Number924号(3月30日発売号)の特集を全文掲載します。
「明らかに、差は詰まっている。一気に追いつくんじゃない。徐々に近づこう。できれば追いついて、粘りたい――」
2月に行なわれた東京マラソン。10kmから15kmの道中で、視線の先を走る“世界”との差をぐんぐんと縮めながら、設楽悠太はそんなことを考えていた。
「走る前は、世界のトップ選手と戦う上で、『どれだけ走れるかな』という意味で楽しみが大きかったです。走っているときも、自然と体が動いたんで『速いな』とは感じなかったですね。ハーフまでは気持ち的にも余裕がありました」
東京マラソンは今年からコースが変更され、下り基調の世界記録も狙えるような高速コースへと様変わりを果たした。その影響か、元世界記録保持者のウィルソン・キプサング(ケニア)を筆頭に世界でもトップクラスのランナーが顔をそろえ、日本人選手の多くははじめから後方で集団を形成する戦略をとった。そんな中でただ1人、前半からハイペースで先頭集団の背中を追いかけたのが設楽だった。
「どれだけ世界と戦えるのかを試したかったんです」
本人が語る通り、中間点までは日本記録はおろか、世界記録すら視界に入るような、驚異的なスピードで押し続け、10kmからの5kmは出場選手中、最速ラップを記録した。しかし、35km以降は失速。2時間9分27秒の日本人3位という結果に終わり、今夏の世界陸上の代表権も逃した。
それでも、3月に行なわれた代表発表の場では、瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーが「将来を見据えれば、選びたい思いはあった」と語ったように、このレースで最も周囲の目を引いたのは、設楽の積極性だった。
「練習では35kmまでしか走ったことがなかったので、プラス7kmの部分で経験の差が出てしまったと思います。でも、自分の中では初マラソンでも挑戦ではなく、勝負に来ていたので、前半から積極的に攻めの走りができたのはいい経験だったと思います。ああいうレースをするのはもちろん勇気も要りますけど、やっぱり走るからには『何かやってやろう』という想いはあって。ただ走って終わりじゃなく、どれだけ世界と戦えるのかを試したかったんです」