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欧州サッカーにも“甲子園”がある。
久保建英のライバルは名選手の息子?
posted2017/03/25 11:00
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph by
AFLO
“欧州サッカーの甲子園”が開幕した。
陽光春めく毎年この時期、イタリア北部トスカーナ州の小さな港町に、国内はおろか世界中から選手や指導者やスカウト、代理人といったサッカー関係者が集結する。
彼らのお目当ては唯ひとつ、カルチョの国屈指の歴史と権威を持つユース年代の一大国際トーナメント「トルネオ・ディ・ヴィアレッジョ」に他ならない。
次代を担う金の卵たちが一同に揃うこの大会は、1949年の第1回に端を発し、年々規模を拡大させながら発展を遂げてきた。
現在では、FIFAやFIGC(イタリアサッカー連盟)の後援も取り付け、ユース年代の国際タイトルをかけた最強クラブ決定戦の場であると同時に、巨大な選手品評会の役割も果たしている。
今年の第69回大会には総勢40クラブが出場。セリエAクラブを初めとするイタリア国内23チームとヨーロッパ・南北アメリカ・アフリカ各大陸から馳せ参じた13カ国・17クラブが、約2週間の日程でユース年代の頂点を競う。
この大会の経験者は超豪華なイタリア代表揃い。
“甲子園優勝”の肩書は決して軽くない。
「ヴィアレッジョでの勝利には特別な意味がある」(デルピエロ)
1994年大会に優勝したユベントス元主将の言葉を借りるまでもなく、「トルネオ~」は過去幾多の名選手を輩出し、名指導者を育ててきた。例を挙げれば枚挙にいとまがない。
FWトッティ(ローマ)やGKブッフォン(当時パルマ)、MFピルロ(同ブレシア)にMFガットゥーゾ(同ペルージャ)といった'06年ドイツW杯優勝メンバーの大半は、'90年代中盤の大会経験者だ。
古くは、鉄人ゾフや元インテル会長ファッケッティ、'82年スペインW杯得点王ロッシなど名だたる選手たちが大会の覇を競い、'80年代にはDFパオロ・マルディーニ(ミラン)やFWロベルト・バッジョ(当時フィオレンティーナ)といった後のレジェンド・プレーヤーたちも当然のように出場している。
優等生だけでなく、FWカッサーノ(当時バリ)やFWバロテッリ(同インテル)といった問題児たちもヴィアレッジョの土を踏んだ。