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ディープはサンデーを超えたのか。
種牡馬としての万能性と「黄金配合」。
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph byKyodo News
posted2017/01/28 08:00
引退レース、有馬記念翌日に池江調教師に見送られて社台ファームへ移動する時のディープインパクト。現役時代に負けない光を今も放ち続けている。
サンデーとノーザンテーストとの相性は抜群だった。
バブル期の強い円を背景に続々と輸入された世界の血とミックスされると、ノーザンテーストの血はさらに力を発揮した。
例えば、ノーザンテースト産駒の名牝ダイナカールはエアグルーヴ(父トニービン)を産み、アドマイヤグルーヴ(父サンデーサイレンス)、ドゥラメンテと4代連続GI制覇という偉業をなし遂げた。サンデーとディープの両方を見てきた社台スタリオンステーション事務局の徳武英介氏は、ダイワメジャー(父サンデーサイレンス)のまじめで健康、壊れにくいという強みは母の父ノーザンテースト譲りのものだろう、と話している。
そのほか、女傑ダイナアクトレスの孫であるスクリーンヒーローはジャパンカップを勝ち、種牡馬としてもモーリス、ゴールドアクターなどを送り出している。
サンデーサイレンスの話に戻るが、種牡馬として導入された当初、ノーザンテースト系をはじめ、アウトブリードできる優秀な配合相手を選べたことは大きな強みになった。
能力の高いサンデー産駒はラストの瞬発力を武器とするタイプが多く、直線ですべてを逆転する鮮やかなレースを見せつけた。強烈な「サンデーサイレンス旋風」を巻き起こし、「好位差し」を横綱相撲としてきた日本の競馬の形を変えてしまった。
日本の生産界で多くのライバルがいる中で……。
サンデーの代表産駒であるディープインパクト。その初年度産駒が2歳戦でデビューしたのは'10年のことだった。ダービー、オークス初制覇は2世代目のディープブリランテとジェンティルドンナ。リーディングサイヤーになったのは産駒デビュー2年後の'12年と、父に比べるとブレイクに時間がかかったし、種牡馬として「ディープ旋風」のような派手な動きはなかった。
それは当然で、'02年8月に16歳で世を去ったサンデーサイレンスが最後にリーディングを獲ったのは'07年。翌年はサンデー直仔のアグネスタキオン、'09年も直仔マンハッタンカフェがリーディングサイヤーになった。'10年と'11年はキングカメハメハで、'12年からディープ時代となるわけだが、ディープが種牡馬入りしたとき、日本の生産界には、サンデーを父とする種牡馬、つまりライバルが多くいた。
さらに、優秀な繁殖牝馬もサンデー産駒だらけで、配合相手が非常に限定される状況だった。そんな中でこれだけの成績を残したのだから、デビューに派手さがなかったというだけで、父より劣るとは言い切れない。