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2歳の娘に見せたい……銀メダル獲得!
パラリンピック柔道、廣瀬誠の物語。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byShingo Ito/AFLO
posted2016/09/09 17:30
表彰式前に、子供を抱いてポーズを取る廣瀬。リオが最後のパラリンピックとなるそう。
まだ幼い娘に、自分の活躍している姿を見せたい!
引退がよぎった。
そのとき、後押しとなったのは、家族の存在だった。中でも、長女が当時まだ2歳であったことが、大きかった。まだ自分の姿を記憶できない年齢であることを思い、現役続行を決めた。
もう一度60kg級へと戻る。
国内にもライバルはいた。ロンドンの60kg級代表の平井孝明である。
5月4日の代表選考会は、決勝で予想通り平井との対戦となる。試合はもつれにもつれた。延長戦の末勝利し、ようやく代表をつかむ。
「負けたら引退のつもりでした。平井選手は歳下ですが、尊敬する柔道家です。平井選手の分も、メダルを獲りたいと思います」
ロンドンでは一緒に臨み、その後ライバルとしてしのぎを削った相手をも思い、さらに決意を固めて臨んだのがリオだった。
そのリオでメダルを手にした廣瀬は、試合が終わると、スナップサイズの写真を大切そうに手にし続けた。
娘3人と一緒に、柔道着姿で撮った写真だった。
「お守りになりました」
アテネでは、金メダルではないことに悔しさから涙を流した。あれから12年、同じ色のメダルを笑顔で手にする。
引退を考え、逡巡し、それでも続けてきた時間の重さがそこにあった。
3連覇を果たしていた名選手、藤本聰の銅メダル。
66kg級では、41歳の藤本聰が3位決定戦で勝利し、銅メダルを獲得。
幼少期に視力が低下した藤本は、5歳で柔道を始め、日本視覚障害柔道の第一人者として活躍してきた。
1996年のアトランタを皮切りに、アテネまで3連覇を果たす。
だが北京では銀メダルに終わり、ロンドンは廣瀬に敗れ、代表を逃していた。