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夫婦二人三脚で手にしたリオ切符。
パラ柔道の廣瀬悠・順子、メダルへ。 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byShingo Ito/AFLO SPORT

posted2016/05/10 10:30

夫婦二人三脚で手にしたリオ切符。パラ柔道の廣瀬悠・順子、メダルへ。<Number Web> photograph by Shingo Ito/AFLO SPORT

大学時代に視力を失った廣瀬順子選手。コーチとしても彼女を支えている廣瀬悠選手。

夫婦だから乗り越えられた、辛い練習。

 廣瀬悠にとって、山場となったのは、2試合目の松本義和との一戦だった。

 両者は互いに譲らず、5分の試合時間が過ぎても決着はつかない。ゴールデンスコアに突入しても、ともに技を掛け合いながら、こう着状態は続く。試合が始まってから30分は経っただろうか。死闘を制したのは廣瀬悠だった。

 試合後、こう振り返った。

「体力には自信がありました」

 もともと練習は好きではなかったが、昨年10月にから妻と一緒に練習するようになり、取り組む姿勢が変わったと語る。徹底した走りこみなどを行い、スタミナもついた。

 また、もともと100kg級だったところから15kg減量しての90kg級出場だ。

 減量しつつ、体力を培っての大会だった。その過程でともに練習に取り組み、食事などの配慮もしてくれたのが廣瀬順子だった。

「1人ならさぼっていたと思います。夫婦だから乗り越えられました」

 そう感謝を口にする。

 一方の廣瀬順子も言う。

「悠さんがいろいろアドバイスしてくれたり、分かりやすく指導してくれました」

 互いの支えとなり、同じ目標を持つ仲間としてつかんだ代表切符だった。

階級を3つも下げて、リベンジに燃える北薗。

 執念という点で、男子73kg級を制した北薗新光も印象的だった。

 北薗は'12年、大学3年生のときにロンドンパラリンピックに出場している。そのときは100kg級での代表だった。つまり、4年前と比べれば、階級を3つ下げたのだ。大きな減量をしたことになる。

 きっかけは、国際大会で海外の選手のフィジカル、パワーを知り、その差を痛感したことにあった。ロンドンパラリンピックでは敗者復活戦で敗れ、その後も国際大会で結果が出ないことがあった。このままでは通用しない。でも力を落とさず、階級を下げられれば勝つことができる。そう考えた。

 理屈ではそうなるかもしれない。だが、3つ階級を下げるという減量は、並大抵のことではない。

「会社の方で柔道に集中できる環境を作っていただきました」

 ここまで来られた理由に、会社をはじめとする周囲の支えを強調するが、何よりも、本人の意志がなければ、過酷と思える減量に打ち勝ち、今大会で優勝することはできなかっただろう。

 選考会を経て、日本が出場枠を獲得している男子5階級、女子1階級の優勝者6人。さらに、国際パラリンピック委員会の個人招待枠により、女子63kg級の米田真由美と、計7名が代表候補となった。

【次ページ】 「夫婦でのメダルを目標にします」

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