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「公立」「全員地元の子」で決勝へ。
甲子園を駆け抜けた高松商の物語。 

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藤田孝夫

藤田孝夫Takao Fujita

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photograph byTakao Fujita

posted2016/04/06 10:30

「公立」「全員地元の子」で決勝へ。甲子園を駆け抜けた高松商の物語。<Number Web> photograph by Takao Fujita

1924年4月開催の「第1回選抜中等学校野球大会(旧大会名)」優勝校の高松商(1909年創部)。ストッキングの赤、白の線は春夏甲子園の優勝回数を示す。

上位校の選手は関西の硬式少年野球出身者という現実。

 加えて、昨今全国に散らばる私立の強豪校に関西地区出身の選手が多いのには、理由がある。

 関西地区では「リトルシニア」、「ボーイズリーグ」といった硬式少年野球が盛んで、中学時代から硬式野球に慣れ親しむ土壌があり、チーム数も多い。センバツベスト4、私立3校のレギュラーメンバーの内約8割が、それらの出身だった。

 球児たちが等しく持ち得る“甲子園への権利”と高野連の掲げる“一県一校”という原則、この2つをバランス良くつなぐ橋は、まだ見つかっていない。

なぜ公立高校が急激に強くなった理由。

 さて、メインテーマが残っている。

 ではなぜ、公立校の高松商業がこんなに、しかも短期間に強くなったのか?

「長尾健司監督の存在」

 OB、関係者、コアなファンは、異口同音にそう答える。

 2014年4月、公立中学と高校の人事交流という名目で、香川大教育学部附属坂出中学校から高商の教諭となり、野球部の監督に就任した。

 まず同校OB以外の監督であることが異例。何しろ100年以上の歴史を誇る野球部である。

 さらに異例なのは、中学軟式野球部指導者からの抜擢であること。もちろん確かな実績を評価されての就任である。特に県下有数の進学校である附属坂出中学を全国レベルまで押し上げた手腕は、高い評価の対象となった。

 いつの時代も変革に英断は必要だ。

 香川の場合、関西のように中学で硬式野球に触れる環境が少ない。後に高校で甲子園を目指す中学生たちも大抵、軟式野球で育つ。実際高商の選手たちも、大半が軟式野球出身者である。ボールの硬さは違えど、2つの野球は繋がっている。それゆえに長尾の目には、硬式だから必要な事、また硬式だからといって変わらない事が、明確に見えるのかもしれない。

【次ページ】 甲子園に帰ってきた、高商の“伝統”のユニフォーム。

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