相撲春秋BACK NUMBER
“孤独”をまとった昭和の大横綱。
北の湖は大鵬を「オヤジ」と呼んだ。
posted2016/01/06 12:00
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph by
Naoya Sanuki
「銀行の通帳を見てびっくりしました」
2015年の年の瀬。相撲部屋のおかみさんや序ノ口力士に至るまで、それぞれが驚きを口にし、目を丸くしつつ、その頬をゆるませていた。ある関西出身の幕下力士が、満面の笑みを見せる。
「例年なら幕下は5万円なんですが、今回は8万円も。これ、なんでしょうね? 年末年始に帰省するのを諦めていたんですけど、新幹線代が出るので、今年は帰れることになりました!」
公益財団法人日本相撲協会の全力士、全職員の冬のボーナスは、前年比約1.6倍~1.8倍近くにまでアップされていたのだ。
それは、同年11月に急逝した北の湖理事長の遺言でもあったという。
かねてから、けして恵まれているとは言えない力士や職員たちの給料底上げについて、懸念していた北の湖理事長だった。
「もし俺に何かあったとしても、これだけは頼むぞ。とにかく可能な限り、すべて公平に分配してやってくれ」
生前、担当する各関係者にそう言い残していたのだ、と伝え聞いた。
横綱は、「死んでも横綱」。
今、ふと、生前の大鵬の言葉を思い出している。
「横綱は、死ぬまで横綱なんですよ」
そして、続くこれは貴乃花の言葉でもある。
「現役引退後も、そのあるべき姿を見せる。死ぬまで一生、横綱です」
否。僭越ながら私が思うに、「死んでも横綱」なのである。大鵬、北の湖――その姿亡き後も、その足跡(そくせき)は道に残り、人々の記憶に深く刻まれ、その存在を語り継がれる。その姿亡き後こそ、大横綱の在りし日の姿が、鮮明に浮かぶ。
そう、「横綱は死なない」。