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“孤独”をまとった昭和の大横綱。
北の湖は大鵬を「オヤジ」と呼んだ。 

text by

佐藤祥子

佐藤祥子Shoko Sato

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photograph byNaoya Sanuki

posted2016/01/06 12:00

“孤独”をまとった昭和の大横綱。北の湖は大鵬を「オヤジ」と呼んだ。<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

理事長時代は多くの問題に悩まされた。“憎らしいほど強い”と評された大横綱は、62歳で惜しまれつつ逝去した。

大横綱ふたり、尽きない話題に酒を酌み交わす。

 大嶽部屋でのパーティが終盤に近づくと、大鵬の声が響き渡る。

「おい、勝! 用意しとけ!」

 勝――大鵬の愛弟子で、世話人として部屋を補佐する友鵬は、この一声で、「北の湖理事長がそろそろ来るな」と、専用の席を用意するのが常だった。自身のパーティで後援者の接待を済ませた北の湖が、付け人のロシア出身力士・大露羅を供に、また、時にはひとりで、ふらりと姿を現すのだった。

 酒の肴は、大鵬夫人手作りの、北海道の名物料理「いかの味噌焼き」。大横綱ふたりは、稽古場で酒を酌み交わし、思い出話に花を咲かせ、協会運営や相撲界の在り方について、その話題は尽きなかったという。

「そんなんじゃダメだ!」

「それは甘いぞ!」

 北の湖に対して、大鵬の檄が飛ぶこともあったという。

「大鵬親方、オヤジと呼んでいいですか」

 角界の男たちは師匠のことを、信愛を込めて「オヤジ」と呼ぶ。

 13歳から仰ぎ見ていたかつての師匠も、実の父も、すでに亡くしていた北の湖は、ある日、酔いに任せて言った。

「大鵬親方、オヤジと呼んでいいですか」

 深夜、わずか50メートルの「横綱通り」を、しこたま酔った大横綱は、大露羅と友鵬の肩を借りつつ歩く。

「オヤジは、いつも俺には厳しいことばかり言うんだよなぁ……」

 そうこぼしながらも、北の湖はどこか嬉しげでもあったと、友鵬は涙ぐむ。

 '13年初場所7日目、大鵬逝去。

 すぐさま駆けつけた北の湖を、報道陣が取り囲んだ。

【次ページ】 「なんでも『道』ですよ」

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