球道雑記BACK NUMBER
周囲の人が口々に「大人になった」。
涌井秀章がロッテで取り戻したもの。
posted2015/09/25 11:40
text by
永田遼太郎Ryotaro Nagata
photograph by
NIKKAN SPORTS
8月28日、QVCマリンフィールドの試合後のベンチ裏のことだ。
お立ち台の準備をする千葉ロッテ・涌井秀章の横で、キャプテンの鈴木大地が無邪気にはしゃいでいた。
この日のヒーローは7回を5安打1失点に抑えて11勝目を飾った涌井と、必死の走塁で内野安打にし、貴重な先制点をあげた鈴木の2人だったが、試合前に何かの約束をしていたのだろう。鈴木は涌井に満点のテスト用紙をひけらかすように、その日の食事のメニューをちゃっかりアピールしていた。
「明日はここにいる背番号7番(鈴木)がまた活躍しそうな気がするので応援よろしくお願いします」と、スタンドのファンの目の前で応戦する涌井。こうした冗談を入れた会話が気軽に交わし合えるほど、涌井は移籍2年目にして、すっかり「千葉ロッテ」というチームに溶け込み、後輩たちに慕われる良き先輩にもなっていた。
西武時代に先発と抑えの間で苦しんだ涌井。
埼玉西武からFA移籍した昨年は、周囲の期待に応えられず7月に2軍降格を経験した。最多勝2回('07年、'09年)、沢村賞1回('09年)の過去の実績から見れば、さぞかし歯がゆい移籍1年目だったと思えるが、しかし、こうした経験もけっして遠回りではなかったのだろう。西武時代から涌井の自主トレをサポートするなど、公私ともに面倒を見てきていた大迫幸一トレーニングコーチは、そんな昨年の涌井についてこう語っている。
「移籍1年目というのは、初めてのチームだから色々と模索しながらやらなければいけないんで、なかなか難しいと思うんです。でも2年目は選手同士の関係もだいたい分かるし、このチームはこういう雰囲気のチームなんだと理解しつつ、調整も自分のペースを守りながらやることができる。だから今年があるんだと思いますよ」
西武時代はストッパーを任されていたことで、先発をしていた自分の姿に戻すことにあらゆる面で苦しんだ。
「(ストッパーは)用意ドンで100で行かなきゃいけないから、先発と体の使い方は当然変わります。先発なんて0からスタートしてもいいくらいです。科学的なことをやれば筋肉の関係もあるかもしれないけど、この世界でやっている限りはとにかく慣れが全て。ポジションがそこだとなったときは、先発の練習方法じゃなくて、短い時間で自分の力を発揮できるように、早く体に覚えさせなければいけない」