オリンピックへの道BACK NUMBER
村主章枝の、見事なフィギュア人生。
振付師として心に届くプログラムを。
posted2014/11/24 10:50
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
AFLO
村主章枝が引退した。
発表したのは11月13日。11月2日の東日本選手権で8位に終わり、全日本選手権出場を逃したあと、村主はこう語っていたという。
「自分だけでは決められないのでコーチ、所属と話し合ってから考えたい」
それから11日後のことだった。
「競技者としてオリンピックを目指してきましたが、東日本選手権で全日本選手権に出場できないという現実を見たとき、次回のオリンピックは年齢的に37歳ということもありますし、なかなか厳しいのかなと思いました」
今、村主は33歳。あらためて、その競技歴の長さを思う。
日本女子の歴史を作ってきた1人だった。
6歳でスケートを始め、小学6年生で全日本ジュニア選手権に初めて出場。以降、少しずつ階段を上っていく。
五輪の出場枠を勝ち取り、二度の五輪に出場。
やがてシニアの国際大会に出場するようになり、数々の優れた成績を残していった。
主だったところでは、オリンピックに2度出場し、2002年のソルトレイクシティで5位、2006年のトリノは4位。2002、2003年の世界選手権で銅メダルを獲得し、2006年には銀メダル。さらに2003年のグランプリファイナルでは優勝している。
長野五輪では出場枠が1つしかなかった日本女子だが、村主は2001年の世界選手権で7位に入り、翌年のソルトレイクシティ五輪の出場枠を2つに増やした。
さらに2002年の世界選手権では3位に入り、5位に入った恩田美栄と合わせて、翌年の世界選手権の出場枠を3つにした。3となるのは初めてのことだった。また、グランプリファイナル優勝は日本人で初めての快挙だ。
村主の特徴としてよく語られてきたのは、表現力だ。
テレビを通してでも伝わってくる演技があればこそ、フィギュアスケートにあまり関心を持っていなかった人を、ジャンプの種類やスピン、ルールが分からなくても、惹きつけたのではなかったか。
実際、村主を観てフィギュアスケートを観戦するようになったという人も少なくない。そういう点でも、功の多い選手だった。