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殿堂入りした老編集者の洗練されたエッセイ集。
~『憧れの大リーガーたち』~ 

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馬立勝

馬立勝Masaru Madate

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posted2014/09/17 10:00

殿堂入りした老編集者の洗練されたエッセイ集。~『憧れの大リーガーたち』~<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

『憧れの大リーガーたち』ロジャー・エンジェル著 村上博基訳 集英社文庫(現在絶版)

 今年94歳のロジャー・エンジェル老の野球エッセイ集は、どれを推薦してもいいのだが、本書を選んだ理由は「終(つい)の別れ」と題する一編があるからだ。1971年のワールドシリーズ第7戦、パイレーツ勝利の瞬間、両手を広げる捕手とこれも手を広げジャンプする投手との歓喜の報道写真から語り起こされる名編だ。大リーグの頂点に立ったこの投手が、自分の投球を見失う悲劇。今なら、精神的な原因でプレーが出来なくなる“イップス”か、で終わる転落劇を、エンジェルは投手とその家族、チームメート、監督、コーチと、きめ細かく取材し、写真が撮られた4年後に発表した。作者の代表作と思う。

 それは、プレーすることの過酷さを淡々と語り、野球にまつわる様々な情報が自然に溶け込み、何よりも人間をくっきり描いて優れた短編小説のようだった。エンジェルの野球エッセイはすべてがニュアンス豊かで、視野が広く深く、語り口が洗練されている。「ボール考現学」でも、「雨の午後のこぼれ話」でも、読むたびに野球が新鮮によみがえり、試合を観に行きたくなるのだ。

エンジェル老の文章は野球記者にとっての教科書。

「MVW(モースト・ヴァリュアブル・ライター)だ」とMVP(最優秀選手)をもじって賞賛した記者もいた。エンジェルが特別な存在なのは、この夏、殿堂入りしたことで知れる。殿堂入りは新聞社所属の野球記者で構成する全米野球記者協会メンバーの古参から選ばれるのが通例だが、エンジェル老は雑誌『ニューヨーカー』の小説部門の編集者、資格がなかった。ところがニューヨークの記者たちが推薦したのに続いて、サンフランシスコの記者協会幹部の女性記者が「私は8歳の時から彼の文章を読んでいた。ほとんどの野球記者が彼をお手本にしているのに殿堂に入っていないのはおかしい」とフォローした。そしてめでたく殿堂へ。半世紀を超えて今も時々書いている(短い文章だが)エンジェル老、その喜ぶ姿を伝える全米各紙のコラムの文章も嬉しさで弾んでいた。

 5冊出版された翻訳本はすべて絶版だが、野球記者の教科書、ネット古書店で探す価値は十分ある。

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