オリンピックへの道BACK NUMBER
柔道・福見友子、引退1年後の決意。
「自分を表現できる選手を育てたい」
posted2014/07/06 10:30
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Shino Seki
「だいぶ筋肉が落ちました」
福見友子は笑って、言う。
柔道48kg級の日本代表として出場したロンドン五輪からは2年近く、現役生活に終止符を打ってからも1年と少しが経つ。
あれから心に新しい目標を抱き、前を見据えてきた。現役時代から抱えていたさまざまな思いも、現在につながっている。
現役生活最後の大会は、初めてのオリンピックとなったロンドン五輪だった。金メダルを目指し、しかし5位と目標には届かなかった大会を、あらためて振り返る。
「緊張はありませんでした。オリンピック特有の選手村とか環境の違いなども、アジア大会やユニバーシアードで経験していたので、こういうものか、というくらい」
「ある程度緊張するくらいの方が力が出る」
重圧に呑まれるようなことはなかったと言う。それでも目標を達成することはできなかった理由についてはこう捉えている。
「オリンピックは、選手がすべてをそこに賭けてピークを合わせて挑んでくる。世界選手権とかアジア大会とは違うんだな、というのを感じました。私はオリンピックは初めてだったので、そこが足りなかったなと思う。
出るまでは、緊張しないように自分をコントロールするのが正しいと思っていたんです。『オリンピックは違うぞ』『緊張しないよう対策を練っておけ』といった話も聞いていて、そうするようにしていました。でも、ある程度緊張するくらいの方が、100%というより120%で行くくらいの方が、オリンピックでは自分自身を超えていくような力が出るんじゃないか。そういう人が勝っているんじゃないか。終わってみてそう思ったんです」
オリンピックは他の大会とは別物、緊張やプレッシャーの克服が課題だとよく言われる。もちろん、福見もその対処方法を考えていた。ただ、実際に経験したあとでは、言葉の意味が想像とは違っていたように思えた。
それもまた、4年に一度の大舞台ならではの難しさかもしれない。