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カイナーと2度の野球人生。
~大往生を遂げた最強打者の迷言~ 

text by

芝山幹郎

芝山幹郎Mikio Shibayama

PROFILE

photograph byTime & Life Pictures/Getty Images

posted2014/02/16 08:15

カイナーと2度の野球人生。~大往生を遂げた最強打者の迷言~<Number Web> photograph by Time & Life Pictures/Getty Images

パイレーツを追われるように去ったカイナーだが、のちに背番号4はチームの永久欠番に。

32歳での引退までに、実働10年で369本塁打。

 だが、カイナーの黄金時代は短かった。理由のひとつは慢性の腰痛だが、もうひとつの理由は、新しくGMに就任したブランチ・リッキー(ジャッキー・ロビンソンをデビューさせたあのリッキー)の緊縮政策だ。

 '52年の開幕時、9万ドルだったカイナーの年俸は、シーズン終了後、7万5000ドルに引き下げられた。本塁打王(37本)を獲得して減俸とは前代未聞である。憤然と異を唱えるカイナーを前に、リッキーはこう言い放った。「きみがいたところで、ウチは最下位だ。きみがいなくても、ウチは最下位だろう」

 かくて'53年夏、カイナーはパイレーツを去ってカブスに移り、'55年のインディアンス在籍を限りにバットを置いた。32歳の引退はあまりにも早い。実働10年で369本塁打。これはあくまでも仮定の話だが、もし健康面で問題がなければ、通算本塁打数は700本前後まで伸びていたのではないか。ちなみに、あのハンク・アーロンは32歳以降の11年間で、357本の本塁打を記録している。

リスナーを楽しませた、数々の“言い間違い”。

 さて、冒頭に戻ろう。現役を引退したカイナーは、新設球団ニューヨーク・メッツの専属アナウンサーに就任した。彼の受け持ったコーナーは、フォーブス・フィールドに設けられていたラッキーゾーンにちなんで「カイナーズ・コーナー」と命名された。そして、バットをマイクに持ち替えたカイナーは、おかしな言いまちがいを何度も重ねて、リスナーを楽しませてくれたのだった。サンプルを挙げよう。

「もしケイシー・ステンゲルが存命だったら、墓のなかできりきり舞いしているのではないでしょうか」

「ソロ・ホーマーが出るのは通常、塁上にランナーがいないときです」

「今季のメッツは、ドジャースにロードで何度か勝っています。場所はいずれもドジャー・スタジアムでした」

 そしてとどめは、やはりこれだろうか。

「今日は父の日です。シェイ・スタジアムにお集まりのお父さんたち、ハッピー・バースデイ!」

 カイナーは、2013年までアナウンサーの仕事を務めた。

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ラルフ・カイナー
ピッツバーグ・パイレーツ

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