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『42~世界を変えた男~』に思う。
貪欲な人材発掘こそ、MLBの方法論。 

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阿部珠樹

阿部珠樹Tamaki Abe

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photograph byAFLO/AP

posted2013/11/13 10:30

『42~世界を変えた男~』に思う。貪欲な人材発掘こそ、MLBの方法論。<Number Web> photograph by AFLO/AP

ジャッキー・ロビンソンは1947年にメジャーデビューし、1949年は首位打者と盗塁王を獲得してMVPに選出され、オールスターにも出場を果たした。現在では、メジャーリーガーのおよそ8割を白人以外が占めている。

一貫して優れた選手を求め「外」に目を向けてきた。

 ロビンソンからはじまる黒人選手の流入はメジャーリーグの野球をより一層スピードあるものにし、新しい時代を開く。黒人選手の導入に積極的だったカージナルスが黒人に冷淡だったヤンキースを破った1964年のワールドシリーズはD・ハルバースタムの『さらばヤンキース』に詳細に描かれているが、'60年代から'70年代は黒人選手の全盛期だったといえる。

 つぎに来るのがヒスパニック系の選手の時代だ。1981年のドジャースはメキシコ出身のF・バレンズエラの大活躍によってワールドシリーズを制する(ここでもやられたのはヤンキース)。ヒスパニック系はそれ以前からいたが、バレンズエラの活躍で急速に数を増やす。ドミニカ共和国などにアカデミーができて選手を獲得するルートも確立した。

 そして'95年には野茂がドジャースに入団する。'90年代半ばから現在はアジア系の進出があり、ここ数年は国交のないキューバ出身の選手がじりじり増えてきている。なんでも亡命のルートがあり、専門の仲介業者もいるということで、これからもキューバ出身者はますます増えるだろう。

 つまり、メジャーリーグは1947年のロビンソンだけでなく、一貫して優れた選手を求め、「外」に目を向けつづけてきた(黒人社会も当時のメジャーの支配層から見れば外の世界だろう)。

どんな肌の色でも、チームの役に立つのなら問題ない。

 当時のドジャースの監督、レオ・ドローチャーはブランチ・リッキーからロビンソンの入団を打診されると、「黄色でも黒でも、シマウマみたいな肌の色でもチームの役に立つなら問題ない」といった究極の現実主義的セリフを吐くが(ほんとうにいったらしい)、この考えはいまでもゆるぎなくメジャーリーグの根底にある。実際、黒色も茶色も黄色も受け入れ、つぎは中国あたりに目をつけているだろう。あそこの国も最高指導者が「白い猫でも黒い猫でも鼠を捕るのはいい猫だ」といってはばからない現実主義大国だから、メジャーリーグと波長が合うかもしれない。

 メジャーの貪欲さを強欲資本主義などというのは簡単だ。しかし、スポーツの世界は常に外部の才能によって活気づけられることも確かで、外に向かって人材を求めるのはメジャーリーグが本能的に自分たちを活気づかせる方法論を知っていることの証しだろう。2時間『偉大さ』と付き合って、少し退屈だったので、そんなよけいなことを考えた。

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ジャッキー・ロビンソン

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