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キャリア晩年を南半球で謳歌する、
デル・ピエーロ“第4のサッカー人生”。 

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弓削高志

弓削高志Takashi Yuge

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posted2013/02/19 10:30

キャリア晩年を南半球で謳歌する、デル・ピエーロ“第4のサッカー人生”。<Number Web> photograph by AFLO

ゴールを決めたあと、お決まりの舌を出すパフォーマンスを見せるデル・ピエーロ。ブラジルの名門フラメンゴへの移籍話も浮上したが、本人はシドニーFCの退団を否定している。

“ボ~ラレ~! Oh Oh!”

“カ~ンタ~レ~! Oh Oh Oh!”

 ウェリントン・フェニックス(ニュージーランド)との今シーズン開幕戦前夜、シドニーFCの選手たちは景気づけに古いイタリアン・ポップスを大声で歌った。音頭の主は、チームに加わったばかりのベテランFW、アレッサンドロ・デル・ピエーロだった。

 サッカー界の頂点を極めたユベントス前主将が、地球の裏側にあるオーストラリアにやってきて約半年。シドニーFCはAリーグのプレーオフ出場をかけて、終盤のラストスパートに入った。デル・ピエーロもまた、38歳の春を前に新たなサッカー人生を堪能している。

 スペイン、イングランド、カタール、アメリカ、ブラジル、タイ、中国、そして日本。

 昨季限りで名門ユベントスを退団したデル・ピエーロには、世界中のクラブを選べる選択肢があった。ユーベ一筋19年、あらゆるタイトルを勝ち尽し、栄光と名声も十分に手に入れた彼が「もうチャンピオンズリーグは戦わなくていい」と肩の力を抜いて向かったのは、新大陸オーストラリアだった。そこには、“スカイブルーズ”のニックネームをもつシドニーFCの背番号10と、降り注ぐ陽光が待っていた。

プレッシャーから解き放たれた環境でサッカーを純粋に楽しむこと。

「何かを探しにオーストラリアに来たわけじゃない。ただ、これまでとはまったく異なる人生を送りたい、と思ったんだ。ここにはイタリア系移民だけじゃなく、ギリシャ系やクロアチア系のように世界中のあらゆる人種が揃う。異なるルーツのサポーターがいて面白いよ」

 もちろん、Aリーグのレベルが、熾烈を極める欧州4大リーグのそれと同じであるはずがない。デル・ピエーロは、プレッシャーから解き放たれた環境でサッカーを純粋に楽しむことを選んだ。世界的知名度を持つ彼へのシドニー市民の歓待ぶりも、ヨーロッパとちがい節度をわきまえたものでそれも心地よかった。

 ただし、勝負ごとは勝たなくては面白くないことを一方で知り尽くしている。ベテランは「優勝争いをする」というクラブ幹部の意気込みを信じ、胸躍らせてシーズンに臨んだ。

 ところが、一部の外国人選手を除き、サラリーキャップ制をもって徹底した戦力均衡化を図るAリーグで、シドニーFCは開幕から躓いた。お粗末な守備で失点を次々に重ねると、序盤の6戦で4敗を喫し、首位争いどころか下位集団の中でもがく日々が続いた。

【次ページ】 38歳になったデル・ピエーロにつきまとう故障の不安。

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