プロ野球亭日乗BACK NUMBER
“頑固”が支えたプロ生活20年――。
松井秀喜が最後まで貫いた己の美学。
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byAP/AFLO
posted2012/12/29 08:02
引退記者会見では、「『引退』という言葉は使いたくないですね」「もう少しいい選手になれたかもね」とコメントした。
松井秀喜が12月27日(日本時間28日)、米ニューヨークで会見を行い、20年のプロ生活に「区切りをつける」と引退を表明した。
松井のバッティングを初めて見たのは、星稜高校から巨人に入団した1年目、1993年の春の宮崎キャンプだった。
初日にサク越え4発、2日目には飛距離150メートルの場外弾と規格外のスラッガーぶりを見せた松井だったが、「こいつは本当に凄い」と実感させられたのは、実は3日目のフリー打撃でのある出来事だった。
ボール球に絶対に手を出さないのである。
打撃投手が投げた60球のうち、松井がスイングしたのは40球。何と20球も見逃しのボールがあったのだ。ベテラン打者でもフリー打撃ではよほどのボールでない限り、強引に打ってしまうケースは多い。しかも高卒1年目の18歳ルーキーである。普通ならまだプロの世界への気後れもあるし、とにかく打たなければならないという焦りもでる。
しかしプロ3日目の松井は1球、1球、きちっとボールを見極め、振るべきでないボールは頑としてスイングしなかったのである。
頑固で自分のスタイルを決して崩さない。
20年間のプロ生活で松井が見せてきた野球に対する姿勢は、実はすでにこのプロ3日目から見せていた。そういう意味ではプロ野球の世界に飛び込んだ瞬間から引退まで、松井とはずっとプロフェッショナルに徹した男だったのである。
ヤンキースでもなく、Wシリーズでもなく……長嶋監督との素振り。
引退会見で「一番印象に残っているシーンは?」と聞かれたときに、2003年にヤンキースタジアムのデビュー戦で放った満塁弾でも、'09年のワールドシリーズMVPに輝いたときのシーンでもなく、巨人時代に恩師でもある長嶋茂雄監督と続けてきたマンツーマンの素振りを挙げたのも、実に松井らしいものだったと思う。
プロ1年目から始まったこの素振りは、東京ドームで試合のあるときは長嶋監督の自宅で、遠征先ではホテルの監督の部屋で、ほぼ欠かすことなく毎日続けられたものだった。
メジャーに渡っても、不振に陥ったとき、自分のスイングをチェックしたいとき、松井は必ず同じように黙々と素振りをしてきた。