NumberEYESBACK NUMBER

“人類最強”のヒョードルが
格闘技界に残した軌跡。
~ロシアの皇帝、ついに引退~ 

text by

布施鋼治

布施鋼治Koji Fuse

PROFILE

photograph byAFLO

posted2012/07/11 06:00

“人類最強”のヒョードルが格闘技界に残した軌跡。~ロシアの皇帝、ついに引退~<Number Web> photograph by AFLO

試合後には、プーチン大統領から競技普及への貢献を称えられた。

 かつて日本の格闘技イベントPRIDEで“人類最強の男”の名をほしいままにしたエメリヤーエンコ・ヒョードルが有終の美を飾った。

 6月21日、ロシアのサンクトペテルブルクでペドロ・ヒーゾと激突。連打でテイクダウンを奪うと、そのままパウンドを打ち落として、1回84秒でTKO勝ちを収めたのだ。

 ヒーゾ戦が決まるやヒョードルは引退を示唆したため、いやがうえにも注目度は高まった。もっとも、試合直前になると前言を撤回するなど揺れ動く気持ちを隠せない様子だったが、勝ち名乗りを受けると自ら別れを告げた。「ついにその時が来た。このスポーツから引退する」

 もう十分だと思った。一昨年から初の一本負けを含む3連敗を喫していたからだ。

 リングサイドではヒョードルファンであることを公言するプーチン大統領も試合の動向を見守っていた。柔道の有段者(五段)で格闘技通でもある大統領は、ヒョードルを“強いロシア”の象徴と見なしていた。

UFCに一度も参戦しなかったのは、アメリカへの嫌悪感が理由?

 筆者が初めてヒョードルをロシアで取材したのは'03年1月。シベリアの地方都市だった。氷点下30度は当たり前という厳寒にもかかわらず、サウナで汗を流したヒョードルは、真っ裸のまま雪の中にダイブして遊んでいた。その時、ヒョードルは強い愛国心をアピールするとともに、アメリカへの嫌悪感を口にした。

「自分の感情を素直に表に出さないアメリカ人は嫌い。僕は生まれ変わってもロシア人がいい」

 そうした反米感情が世界最大規模の総合格闘技イベントであるUFCから破格のオファーを受けようと、一度たりとも首を縦に振らなかった理由のひとつなのだろうか。

 ヒョードルは母国のアマチュア格闘技の大会出場まで規制するUFCの独占契約にも納得していなかった。現役晩年はアメリカでも闘うようになったが、ヒョードルが選択したのは当時UFCと敵対し、アメリカ以外の国での活動にはオープンなスタンスのストライクフォースだった。

【次ページ】 ノゲイラやクロコップと繰り広げた格闘技史に残る激闘。

<< BACK 1 2 NEXT >>
1/2ページ
関連キーワード
エメリヤーエンコ・ヒョードル

ページトップ