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<悲運のレスリング世界女王の挑戦> 小原日登美 「10年越しの夢舞台」 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

PROFILE

photograph byYukihito Taguchi

posted2012/07/13 06:00

<悲運のレスリング世界女王の挑戦> 小原日登美 「10年越しの夢舞台」<Number Web> photograph by Yukihito Taguchi
Number誌の特別連載「LONDON CALLING~ロンドンが呼んでいる~」。
7月27日の五輪開幕に向け、このシリーズを全文公開していきます!


今回はレスリング女子48kg級日本代表、小原日登美。
8度の世界選手権制覇を経験しながら、五輪に縁のなかったレスラーは、
なぜ一度は引退しながら、現役復帰を決断したのか――。
悲願の切符をつかむまでの10年にわたる“苦悩の日々”を追った、
Number795号(2012年1月12日発売)掲載のドキュメント。

 静かな圧勝だった。

 2011年12月22日、レスリング全日本選手権で、48kg級の小原日登美は、初戦から準決勝までをフォール勝ち。決勝こそ1ポイントを失ったものの、2つのピリオドを獲得し完勝。これらの試合の間、小原は磨き上げられた精緻な技をもって、表情ひとつかえることなく、淡々と勝ち進んだ。

 今大会の優勝は、小原にロンドン五輪日本代表の切符をもたらした。

「ここまで長かったですね」

 試合後、小原はふと表情を緩めた。1月に31歳を迎えた小原が、ようやくつかんだ、初めてのオリンピックである。言葉と表情、無駄のまったくない絞り込まれた身体には、「長かった」という時間が凝縮されていた。

 小原は旧姓を坂本という。'10年10月に同じ自衛隊体育学校所属の選手だった小原康司氏と結婚し、現姓となった。これまで知る人ぞ知る存在だった小原日登美は、レスリング界では名選手として認知されていた。

女子レスリングの歴史を変えた彼女が、五輪に縁のなかった理由。

 '99年、全日本選手権の51kg級で初優勝し、瞬く間に世界屈指のレスラーに登りつめた。'00年には国際レスリング連盟の女子ベスト選手に選ばれている。世界選手権は8度出場して8度優勝するなど、'00年から'11年までの国際大会の通算成績は80勝1敗を誇る。

 なによりも、これまでの女子の選手には見られなかった、お手本とも教科書とも言われる正確な技術が周囲に衝撃を与えた。

「彼女の登場で女子レスリングの歴史がかわった」と評する関係者もいたほどだ。

 それほどの選手なのに、オリンピックだけは縁がなかった。

 女子レスリングは'01年に、アテネ五輪での採用が決まった。吉報を受け、小原はオリンピックに備え、傷めていた左膝の手術に踏み切る。だが回復は思わしくなく、その影響からか、練習中に右膝も故障した。しかもその間に、オリンピックでは全7階級中4階級でのみ実施され、51kg級は外れると知らされた。ショックだった。そして苦悩した。

<次ページへ続く>】

【次ページ】 妹との代表争いを避けた結果、最強の相手と……。

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