アジアカップ決勝弾丸観戦記BACK NUMBER

第1回:いざ、我らの祭へ!と思ったら……。 

text by

川端裕人

川端裕人Hiroto Kawabata

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photograph byHiroto Kawabata

posted2004/08/06 11:59

第1回:いざ、我らの祭へ!と思ったら……。<Number Web> photograph by Hiroto Kawabata

 成田から北京までフライトタイムはわずか3時間。EURO2004の決勝戦を観るために飛んだリスボンへの17時間に比べたら、格段に近い。アジアカップは「我らの祭り」なのだ。

 EUROの観戦で、隣の芝の青さを見せつけられたぼくとしては、こっちだって楽しもうぜ、という気持ちにもなっていて、かなり前から北京行きを計画していた。夏休みなので、6歳の息子も一緒だ。リスボンで見たギリシア人親子たちの、本当に楽しそうな様子が目に焼き付いていて、ああいう楽しみ方ができるのっていいなあ、とうらやましかった。だから、チケットを二枚いち早くゲットし、準備万端整えてこの日を待った。

 とはいっても、フライト中、息子のはしゃぎ具合をよそに、ぼくは少し緊張せざるをえなかった。楽しいお祭り行きのチケットだったはずが、例のブーイング問題のせいで、いつの間にか複雑なものになっている。あえてキャンセルせずに参加する以上、現地で危険を感じたら、観戦を放棄してもいいやというくらいの覚悟はしている。その上で、うまく「祭り」を味わえるならよいし、とにかくぼくたちは行ってみるだけは行ってみよう、というわけなのだった。

 夕方、北京空港に到着。この時点で「危険」なかんじはまったくしない。

 そこで、「祭り」の匂いを探してみるが、少なくとも空港では「無味無臭」。街に出ても、ぱっと見る限りサッカー色はゼロ。「国をあげて/街をあげて」のサッカーイベントにはなり得ていないのは明らかだ。それは逆に言うと、「反日」的な雰囲気が街にはまったくないことでもあって、大変ありがたくはあるのだけど……。

 この時点で、自分が「祭り」のために来たという意識がすでに希薄になっていることに気づいた。だって、そうじゃないか。ホスト国が決勝に進んでも「街レベル」の盛り上がりに欠け、対戦国サポーターであるぼくたちも「ブーイング問題」のせいで事実上、参加できなくなっているからには、これはもうお祭りではない。ぼくらは祭りが中止になったのを知らずにのこのこやってきた間抜けな奴らなのではないか。

 昔つとめていたテレビ局の元同僚の紹介で、地元サッカーファンのヤンさんに会った。彼によれば、反日感情が高まっているという実感はまったくないという。「ブーイングはスタジアムの中だけ。過激な行動もごく一部の奴らがおふざけにやっていること」だそうだ。これは同席した元同僚(北京支局勤務)も同じ意見だ。

 おふざけでも、囲まれたりしたら洒落にならないよと思いつつ、ひとたびマスメディアによる報道サイクルが回り始めると、どんな小さな「反日」でもあたかも中国人全員がそう思っているかのように伝えられるメカニズムを、かつてニュース番組を作っていたぼくは知っている。今回も問題点が多々あることは事実にしても、日本からの「祭り参加予備軍」に「行ったら殺されかねない」とまで思わせてしまったのは失敗。結果、盛り上がって当然のサッカーイベントを、中国ではスタジアムの中だけ、日本ではテレビの前でだけのきわめてローカルな盛り上がりにとどめてしまったかもしれない。

 というわけで、今この瞬間、ぼくはちょっともの悲しいムードだ。だれによって「祭り」がスポイルされてしまったのか。あるいはスポイルされつつあるのか。サッカーと政治が渾然とするのは、まさに文化の未成熟であり、これがアジアの現状ってやつなのだろうか。きっとこのことは、帰国したあとでもう一度考えてみることになる。

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