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3度の右ヒジ手術を経て、
大塚晶則、復活への誓い。
~投手兼コーチとしての再出発~ 

text by

四竈衛

四竈衛Mamoru Shikama

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photograph byYukihito Taguchi

posted2011/07/04 06:00

3度の右ヒジ手術を経て、大塚晶則、復活への誓い。~投手兼コーチとしての再出発~<Number Web> photograph by Yukihito Taguchi

5月にはペトコ・パークで被災者支援のチャリティーサイン会を開催し、始球式も務めた

 表情は穏やかでも、言葉は力強かった。右ヒジの故障から現役復帰を目指す元レンジャーズの大塚晶則が、再びユニフォームを着てグラウンドに戻ってきた。「なんとかケガをする前の状態にもっていきたい。体の使い方も少しずつ思い出してきましたし、下半身も動くようになってきました」

 南カリフォルニアを中心として行なわれているウェスタン・ベースボール・アソシエーション(WBA)に、今年から“ナックル姫”吉田えりも所属する日本人チームの「サムライ ALL JAPAN」が参戦。その投手兼任コーチとして、今年6月から再出発したのだ。

 2004年、パドレス入りした直後からセットアッパーとして質の高い投球を続けてきた。'06年のWBCでは日本代表のクローザーとして活躍。決勝のキューバ戦では胴上げ投手となった。同年には32セーブをマークし、メジャートップクラスの救援投手にまで上り詰める。

約4年間のブランクでも、故障前と同じ体重92kgを維持。

 ところが’07年7月、右ヒジ痛でマウンドを離れることになる。その後、「トミー・ジョン手術」と言われる靱帯修復手術を含め、3回も右ヒジにメスを入れた。回復したかと思えば、神経系の異常でしびれが出るなど、復帰プランは一進一退の繰り返しだった。先行きの見えない日々。いらだつこともあった。それでも、大塚はギブアップしない。日本での治療も試し、独学でトレーニング方法なども研究した。サンディエゴの自宅の庭を改造し、ボールが投げられる場所も確保した。

「力が衰えて離脱したわけじゃない。しっかりと結果を出して現役を終わりたいんです」

 同じ右ヒジ手術を受けたレッドソックス松坂からは、電話で相談を受けた。自らも複数の医師の診断を参考に治療法を探っただけに、経験談を話し、激励した。

「絶対に良くなるし、焦らずにやってほしい。しっかり治して正々堂々とマウンドに戻ってきてほしい。アイツのことだから大丈夫。持ってる男ですから」

 大塚自身は、7月中に実戦登板し、その後、トライアウトで日米両国のスカウトにアピールする予定だ。「勝負は来年。年は重ねましたが、体は衰えてません」 

 来年1月で40歳。約4年間のブランクがあっても、故障前と同じ体重92kgを維持している精神力は、並大抵ではない。

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