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リバプールにラテンの風は吹いたのか。 

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熊崎敬

熊崎敬Takashi Kumazaki

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posted2005/02/17 00:00

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[港町を往く]リバプールにラテンの風は吹いたのか。

熊崎敬=文

text by Takashi Kumazaki

 アンフィールドのスタジアムツアーに参加した紳士と淑女は、いきなり難題に直面した。ガイドを務めた22歳のクレア嬢が、大胆な告白を行なったからだ。

 「アンフィールドへよう来たね。ところで、あたいのアクセントで、あんた方わかるか」

 「スカウサー」と呼ばれる、こてこてのリバプール訛りを話すクレアに連れられて更衣室に入る。そこは白い壁、木の長いす、マッサージ用のシートがあるだけの質素な部屋だった。だが、ただの空間ではない。ホームチームの更衣室の入り口は、向かい合わせのアウェーのそれよりも、少しだけ小さく造られている。それは、なぜか。

 「かの名将シャンクリーが、この部屋から出て行くリバプールの選手たちを、敵の目に大きく見せようとしたんだて」

 ツアー客たちは先人の知恵に恐れ入り、互いに顔を見合わせて頷くのだった。

 クレアは自嘲するように付け加えた。

 「それにしても、かつての魔力はいったいどこに消えちまったんかね!」

 「大きな耳」が4つも鎮座するトロフィールームがあるクラブは、イングランドではリバプールただひとつしかない。しかし、栄光の日々もすっかり遠い過去のものになった。

 日本人の客がクレアに質問した。

 「リバプールを見に遥々来たんですが、2試合見て、ふたつとも完封負けなんです。残り1試合、勝つところを見られますか?」

 「……。そんなん保証できんて」

 アンフィールドの目の前に建つパブ「ザ・パーク」では、56歳の肉体労働者ジェイムズが憤懣やるかたないといった様子で、前日のマンU戦の敗北を嘆いていた。

 「マンUは強かったが、キーパーのミスが痛かったんだ。ドゥデクの野郎のせいで……」

 それは12億円という超特価でマドリーから買った5人目のスペイン人、モリエンテスのデビュー戦でもあった。バレンシアからやって来たベニテス監督は、次々とかつての教え子を新天地に連れてきた。この冬のプレゼントに、だれもが胸を膨らませてアンフィールドに駆けつけたのだ。だが、大した見せ場もなく0対1であっさり退けられてしまった。

 決勝点を奪ったのはルーニーだった。リバプールの仇敵エバートンで育った若造は、シュートがドゥデクの緩い脇をすり抜けてネットに突き刺さると、地元のコアなファンが密集する「コップ」と呼ばれるゴール裏を睥睨し、「お前ら、歌ってみろよ」とばかりに耳に手の平を当ててみせた。観客席の一角では、マンUのファンが得意満面に歌っている。

 「さっきまでお前らは歌ってたが、もう歌えない、もう歌えない、もう歌えない……」

 英国ではお約束の光景だが、ルーニーの挑発に激怒した「コップ」からは携帯電話が投げつけられた。それは悲しくも的を外れた。

 ジェイムズはルーニーに腹を立てるよりも、ジェラードのことを気にかけていた。リバプールの象徴が、なぜ覇気がなかったのか……。

 「『デイリーミラー』のせいかもしれん。マドリーへの移籍が決まったように報じたじゃないか。あの新聞はマンU寄りで、連中はジェラードをリバプールから引き離そうとしている。オーウェンに続いてジェラードまで失うだと?― 気に入らん、まったく気に入らん」

 昨シーズン、オーウェンがマドリーに移籍したとき、理解を示すファンと声高に反対するファンがいた。ジェイムズは後者だった。

 「当たり前だ。ウリエ前監督の時代は、とにかく退屈だった。オーウェンめがけてロングボールを蹴飛ばしていただけだろう。新監督のベニテスは、フットボールをしようとしている。そこは評価するが、押し込むだけのゴールを決めるヤツがいないんだよ。パスをつなぐいまの戦術でも、オーウェンは生かせるはずだ。あいつがいるだけで、シーズン25ゴールは保証されるんだから」

 いまのリバプールは、マンU、チェルシー、アーセナルのビッグ3から、実力、人気、財力、すべてにおいて引き離されている。頑固なファンも、そのことは否定できない。

 「ビッグ3でレギュラーを張れるのは、ジェラードとキャラガーくらいのもんだ。リバプールが霞んでしまったのは、スカイの影響だろう。あのテレビ局が投資先としてプレミアシップに目をつけたとき、リバプールの栄光はすでに終わっていた。そして連中は、マンUに投資した。正しいときに正しい場所に立っていたのが、ヤツらだったんだ」

 ジェイムズの指摘は正しい。スカイが参入した'90年代初頭、リバプールとマンUはどちらも冴えない古いクラブに過ぎなかった。だが、新時代の方程式に逸早く乗ったマンUに対し、リバプールは何も手を打たなかった。クラブが賢ければ、俺たちの天下が……忸怩たる思いが彼らの胸の内には巣食っている。

 アンフィールド周辺で「コンピュータ並みの知識を持つ男」がいると聞き、荒んだ路地に建つ古めかしいパブ「リトルサル」を訪ねた。障害者年金で糊口を凌ぐ48歳のサンティが、そこにはいた。このひどく人間的なコンピュータが弾き出したリバプール最大の問題とは、意外にも「ファーストタッチ」だった。

 「トラップで10ヤードもボールが飛んでいくようなヤツがいる。だから近年のウチは、簡単にボールを失うんだ。相手より多く走りまわって終盤にはガス欠、いつものことだ」

 ファーストタッチが下手なのはだれか。サンティはしばし考え込み、愚痴りだした。

 「……。俺はいいたくないんだよ。個人の批判はしたくないんだよ」

 何度聞いても無駄だった。だが、そのことはチームにファーストタッチの悪い選手が数多くいる、ということを物語っていた。

 「だが、新監督のベニテスは本来のパスをつないで攻める文化を取り戻そうとしている。彼が連れてきたスペイン人では、シャビ・アロンソがいい。彼が加わって、ジェラードが攻撃に力を発揮するようになったんだ」

 ベニテス政権における最大のヒット、それがシャビなのだが、チェルシー戦で足をへし折られ、長期欠場を強いられている。運もない。

 気づくとサンティは、コップ談義に花を咲かせていた。コップとは、直接にはアンフィールドが誇る巨大なゴール裏スタンドを指す。いまは座席に変わっているが、立ち見の時代にはゴール裏だけで3万人近い大群衆が気勢を上げていた。それはリバプールの栄光の象徴であり、新聞に「コップが……」と書かれた場合、それはチームそのものを意味する。

 隣で話を聞いていた41歳の自称ペイント&デコレイター、通称ペンキ塗りのピーターは、ノートに幼稚なコップの図を描きつけ、それだけの群衆がいながら死者が出なかったのは「コップが伸び縮みしたからだ」と断言した。

 収縮する観客席?

 「つまり、柵がなかったから俺たちは自由にメインやバックに行き来できたんだ」

 彼は肝心のピッチを描かなかった。コップこそが、青春のすべてだったのだろう。

 すでに窓の外は闇に包まれていた。サンティは、「気をつけて帰りなさい。辺りは物騒だから」と忠告してくれた。アンフィールド界隈は犯罪者も潜伏する危ない街であり、そういえば行きがけに、学校をさぼって屯する若者から盗品に違いないDVDを売りつけられそうになったことを思い出した。足早にグラントンロードを通り過ぎた。

 マンU戦から3日後、リバプールはまた負けた。二軍仕様のメンバーで格下バーンレイとのFAカップ3回戦に臨み、0対1と恥をさらしたのだ。その1点は、間抜けなフランス人トラオレが見事な足技からバーンレイにプレゼントした自殺点だった。グラウンダーの折り返しに駆け戻った褐色の左サイドバックは、ただコーナーに蹴り出せばいいものを、マルセイユターンのようにボールを捏ねながら、そのままゴールラインを踏み越えたのだ。その後、苛立ちからヌネスが相手に肘打ちを食らわせ退場に。救いようのない敗北だった。

 翌日、パブ「サンドン」でひとりギネスを嘗めていた年寄りは一瞥をくれると、「リバプール?― ああ、あのマドリーのリザーブチームがどうした」と不敵に笑った。隠居のエディ、極めてシニカルな72歳だった。

 「俺はもうスタジアムには行かない。カネが続かないからだ。だが、チームへの興味は失っていない。昨日も、あの無様な試合をテレビで見た。強くなるとはとても思えんな」

 そして眉ひとつ動かさず、毒を吐く。

 「マンUは地に埋められるべきだ。エバートンも同罪だ。そして、ルーニーは屑だ」

 ……。

 「エバートンは便所の脇にトロフィールームがある。失礼な話だよな。ところでお前、リバプール訛りを話すが、どこの育ちだ」

 この旅の案内を務める若者から、隠居は自らの出自とは異なる匂いを感じ取ったらしい。

 「チェスターか。あの豊かな街なら、カネの心配とは無縁だろう。ならば俺たちとは違って、オーウェンの気持ちは理解できないはずだ。リバプールを捨ててまでもカネを取った、ヤツの気持ちを」

 隠居は核心を衝いていた。フットボーラーの多くは下層階級からの成り上がりであり、社会の底辺に置き去りにされた大衆が彼らを支持してきた。隠居もオーウェンも、生まれ育った世界は変わるところがない。

  '70年代からの不景気を引きずるリバプールが優秀なフットボーラーを輩出してきたのは、多くの人々が語るように、若者にはフットボールくらいしか成功の道を見出せないからだ。イングランド代表の明日を担うルーニーとジェラードが、リバプール郊外の隣り合わせのスラムから飛び出してきたのは偶然ではない。

 パブ「サンドン」で出会った30歳の元軍人マルコムは、ジェラードの育った街を知っていた。そこで兄が働いていたからだ。

 「ヤツはブルーベルエステイトという貧民街で育ったんだ。この寂れたリバプールの中でも、屈指のスラムといっていい。俺も昔、兄貴に会うために何度か行ったことがあるが、一度凄い光景を見た。余所者がパブで飲んでいたんだ。すると土地の不良がやって来て、丸めたティッシュを余所者のポケットに忍び込ませた。どうしたと思う?」

 さあ……。

 「火を点けて、大火傷を負わせたんだ。あそこにはルールはひとつしかない。自分の居場所を守るか、さもなくばやられるかそうした強靭な魂がジェラードには宿っている。ヤツは劣悪な環境の産物である、逆境に生きる俺たちの希望なんだ。あいつは自分を育ててくれたクラブへの忠誠心を人一倍持っているが、同時に自分が勝つためなら絶対に妥協はしない。マドリーがいくら強くても、リバプールが強ければ絶対に留まるだろう。だが、現実は違う。そこに俺たちの不安がある」

 野望に燃える若者を引き止められるものは希望しかないが、いまのリバプールにはそれがない。ウリエが無節操にフランス人、セネガル人、クロアチア人などを連れてきて創ったチームに、彼が満足していなかったことは半ば事実として伝えられていた。今シーズンの成績にも納得してはいないだろう。チームの「心臓」をもぎ取られる恐怖は、現実のものになりつつあるのだ。スペイン人が何人来たところで、だれもジェラードの代わりにはなれない。

 高級紙「ガーディアン」でリバプール担当記者を務める30歳のドミニクは言い切った。

 「過去に置き去りにされたリバプールは、現在にタイムワープしなければならない」

 この知的な観察者は、オーウェンを放出し、ジェラードを引き止めたベニテスの功績を高く評価している。だが、見通しが明るいとは口にしなかった。

 「新監督のベニテスはバレンシア時代、マドリーとバルサの二強を倒し、銀河系のいないバレンシアを頂点に導いた。3年間で国内リーグを二度、UEFAカップを一度制している。その経歴は、ビッグ3への巻き返しを狙うリバプールを担うにふさわしい。カネのないリバプールには銀河系など望むべくもなく、高い組織力に活路を見出さなければならないんだ。だからベニテスには、安くても力のある選手たちを買い揃える必要があるのだが、いずれはその限界を悟るかもしれない」

 マージー川を渡り、対岸の街チェスターへ向かう。クラブ史上最多得点を決めた狡猾な点取り屋ラッシュが、そこには待っていた。全盛期を知る43歳のウェールズ人だ。

 「たしかにリバプールは、英国でもっとも成功したクラブだ。昔は、残り数分で得点する幸運なヤツらと呼ばれたが、それは偶然じゃない。他のチームが飽きもせずキック&ラッシュをやっていたとき、すでにリバプールは後ろからパスをまわす戦術を採り入れていた。試合中に味方のフォワードを休ませ、敵を走りまわらせることで体力を消耗させる。そこで最後に差をつけていたんだ」

 皮肉なものだ。イングランドが大きく進化した'90年代、リバプールは退屈な蹴り合いに終始していたのだから。'70年代中期から'80年代半ばまでの黄金時代、彼らは肩で風を切ってヨーロッパを闊歩していた。ファンも毎年のように大陸の戦いに打って出ることで、当時、英国では手に入らなかったラコステのようなブランドを身に纏い、周りから羨望の眼差しを浴びていたものだ。

 「かつてのリバプールは、それはもう大きなチームだった。大陸のチームには、熱狂するコップを目にして怯える選手だっていたんだ。俺たちにしたら、アーセナル?― ああ、万年3位のチームだろ、チェルシー?― だれだよそれ、そんな感じだったな」

 リバプールは時代に乗り遅れ、同時に脈々と受け継がれてきた強さの源泉も失った。マンUとは正反対で、結局、何も得てはいない。

 「いいかい?― いくら海外の優秀な選手が来たといっても、マンUやチェルシーの軸は英国人だろう。リバプールもそうあるべきだ。ジェラードは外国人と違って、エバートンとのダービーに負ければ、ファンがどれだけ肩身の狭い思いをするかがわかっている。そういう男が、いまのチームには少ないと思う」

 リバプールに来たばかりのモリエンテスは、更衣室に花の香りを持ち込みたい、とクラブに進言したらしい。「僕はいままで、そうやって試合に集中してきた」というのだ。そのことを尋ねると、ラッシュは苦笑いした。

 「そうか。俺の時代なら、そんなことを口にしたら同僚に惨殺されただろうな。リバプールの人々はつらい人生を忘れるためにもジョークが大好きなんだ。笑い話にはなるから、花も一度はいいかもしれないけどな」

 リバプールが時代後れになってしまったことを、だれもが知っていた。強くなるには、古い衣装を脱ぎ捨てなければならない。そのことを彼ら労働者のジェイムズ、年金暮らしのサンティ、隠居のエディ、元軍人のマルコムは心の底では理解している。だが、古い衣装とは、いつの時代もリバプールに縋りついて生きてきた彼らのことだ。

 ニューカッスル戦を観に訪れたアーセナルの本拠地ハイバリーはすでに「浄化」され、観光地のようになっていた。フランス人や日本人、中国人が大挙押しかけていて、いくら地元のファンが野太いチャントを歌っても長つづきしない。悲しい光景だったが、いまの時代、それが強くなるということだ。

 FAカップから4日後、リバプールは瀕死のサウサンプトンにも完封負けした。クレア嬢は正しく、日本人の客はひとつのゴールにもありつけずに帰国の途に就いた。

 バイヤー・レバークーゼンとの大一番が迫ってきた。ジェラードがアンフィールドに別れを告げる日も、おそらく……。

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