夏の甲子園、敗れてもなお観衆を魅了した花巻東のエース。150kmを超える剛速球の持ち主は、マウンドを降りても献身的な応援で仲間を鼓舞し続けた。大勢の報道陣に囲まれても嫌な顔ひとつせず、丁寧な受け答えに努める。試合後には大泣きし、国内かメジャーかを迫られ、また涙を流す――。
ただひたすらにまっすぐな、純朴を絵に描いたような青年は、みちのく岩手の地でいかにして育て上げられたのか。
なんとも間の悪い涙だった。
「いろんな人に迷惑をかけてしまったな、っていうのがあって。ただ、誤解を与えてしまったことは申し訳ないんですけど……」
日本プロ野球か、メジャーリーグか――。
「20年にひとりの逸材」と言われた花巻東のエース、菊池雄星の進路に関する報道合戦が始まったのは、8月24日、花巻東が夏の甲子園の準決勝で敗退した翌日のことだ。
みちのくの18歳は、その間、ボールを1球も投げなくとも、何度となくスポーツ紙の1面を飾った。そんな前代未聞といってもいい騒動に終止符が打たれたのは2カ月後のことだった。日米合わせて20球団との面談を終えた菊池は、ドラフト会議を4日後に控えた10月25日、花巻東で記者会見を開いた。
「日本でプレーさせていただきたいと思います」
それが、菊池が顔中ににきびを作った末に選び出した答えだった。菊池はたどたどしいながらもいつもの丁寧な言葉遣いで約15分間、自分の思いを語った。そして、すべてを語り終えたと思いきや、突然、菊池の頬を涙が次々とつたい始めた。
相手の心情に同化してしまうがゆえに菊池は涙を流す。
見慣れた光景といえばそうだった。
春の甲子園のときも、夏の甲子園のときも、試合に敗れたあと、菊池は堰を切ったように泣き始め、しゃくり上げながら2リットルのペットボトルがいっぱいになるのではないかと思えるほどの大量の涙を流した。
「なんか、出ちゃうんですよね。負けず嫌いって言ったら、それまでなんですけど」

左腕から繰り出されるストレートは最速155kmを誇る
いや、泣いてしまうのは、自分が負けたときだけではない。母の加寿子が話す。
「小学生のとき、お兄ちゃんの野球の試合についていって、勝っても負けても泣いていました。それでお兄ちゃんでも忘れているようなことでも覚えてるんです」
相手の気持ちがわかるというよりも、完全に同化してしまう。そして、その本人以上に深く感じ入ってしまうのだ。
父の雄治も、証言する。
「シニアリーグの卒団式のとき、キャプテンの雄星が代表して3年生に贈る言葉みたいのを読んだんです。そうしたら、読みながら、もう、うううう……ってきてて。会場も、みんな、ううううううう……って」
以前も、雄治は同じ話をしていた。よほど心に留まっているシーンなのだろう。だがひとつ、注釈が必要だ。後者の「うううう」のなかには、おそらく雄治も含まれていた。
<次ページへ続く>
(更新日:2009年12月22日)
筆者プロフィール
中村計
1973年千葉県出身。ノンフィクションライター。某スポーツ紙を経て独立。『Number』(文藝春秋)、『スポルティーバ』(集英社)などで執筆。『甲子園が割れた日 松井秀喜の5連続敬遠の真実』(新潮社)で第18回(2007年度)ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。他に『佐賀北の夏』(ヴィレッジブックス)、共著に『早実vs.駒大苫小牧』(朝日新書)などがある。『雪合戦マガジン』の編集長も務める。趣味は、落語鑑賞と、バイクと、競艇。


























