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土佐礼子 「もっと暑くなれ、と思ってました」 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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posted2007/09/20 00:00

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[独占インタビュー]土佐礼子 「もっと暑くなれ、と思ってました」

松原孝臣=文

text by Takaomi Matsubara

 39kmの手前で、先頭集団の4人から遅れ、後退していった。差は15~20mほどついただろうか。スタジアムの観客席から悲鳴が聞こえた。もはやこれまでか、と一瞬、思った。

 だがそうではなかった。形相が変わり、必死に追いすがる。40kmすぎにシティエネイ(ケニア)を捉え、4位に上がる。やがて朱暁琳(中国)をもかわすと、さらにヌデレバ(ケニア)、周春秀(中国)との差をつめる。

 スタジアムに帰ってきた。トラックに姿を現すと、スタンドの歓声がひときわ大きくなった。ゴールが近づくと、サングラスを上げ、右手でガッツポーズ。3位。それは今大会、日本初のメダルが生まれた瞬間だった。

 閉会式後に焼肉屋で祝杯をあげ、ほとんど眠らないまま、翌日、ワイドショーに出演するため朝6時にホテルを出発。その後は記者会見、日本代表解団式、大阪市長表敬訪問、再びテレビ出演と、食事を取る暇もなく、まさに分刻みのスケジュールである。その合い間に、殊勲、土佐礼子に話を聞いた。

──最後の粘りは真骨頂ですが、それにしても見事でした。あらためて聞きます。どうしてあれだけ粘れるのでしょう。

 「うーん、どうしてでしょう。最後に力を出し切るような練習をいつもしているのですが、練習どおりにできているということだと思います」

──38kmすぎで一度遅れました。あそこはついていくのが難しかったのですか。

 「そうですね。あそこは置いていかれてしまいました。でも辛抱してがんばらないと、あきらめちゃいけない、って思ったんです」

──そこから追い上げが始まりましたね。

 「(前のランナーが)落ちてこい、落ちてこいって呪っていました(笑)。冗談です。いや、本気でした(笑)」

──40kmすぎからご主人(村井啓一氏)が沿道を併走して声援を送り続けていました。

 「ええ、すぐ気づきました。いつもは、いてほしいところにいてくれなくて文句を言っていたんですけど、今回は、いてほしい場所にいてくれて、力が出ましたね。抜いていったときは、ともかく少しでも前に、ただそれだけ考えていました」

──レース全体でいくつかポイントがあったと思います。序盤、給水に2度失敗しました。

 「まだ最初のほうだったのであまり動揺しなかったし、お水をとれたので大丈夫でした」

──今大会は大阪独特の蒸し暑さが競技に影響していました。レースのときも、スタート時点こそ涼しかったですが、途中から陽射しが出てかなり暑くなりましたね。

 「もっと暑くなれ、って思ってました。そうすればほかの選手は消耗しますし、その中で私にはチャンスが出てきますから」

──7月後半、中国合宿で左膝を打撲したことを不安視する向きもありました。影響は。

 「最初はやっぱり痛んだんですけど、途中から気にならなくなって」

──怪我のときのことをあらためて聞かせてください。

 「その日の夜は痛みがどんどんひどくなって眠れないほどで、パニックになったんです。それで午前2時頃、旦那に電話して、『もうだめ。(北京五輪代表の)内定を取れなければ引退する』とか、わーわー言って。まあそこまで本気で言ったわけではないんですけどね。でも旦那は落ち着いていて、『打撲なんだから痛みがひけば大丈夫だから。間に合うから』と言ってくれて、助かりました」

──その後リハビリを経て、トレーニングを再開したわけですね。

 「その日その日で状態を確認して、次の日のメニューを決めて。ときには不安になることもありました。でも、落ち着いて取り組めたと思います。レースの前には、なんとかなると思えるようになっていて、レースのときはとても前向きでしたね」

──銅メダルを獲得し、目標にしていた北京五輪代表に内定しました。今、五輪についてどのように考えていますか。

 「今のマラソンはスピードが重要なので、なかなか難しいところもあります。でも北京は暑さなど条件が悪いので、メダルを狙えるんじゃないかな、と思っています。アテネ五輪のときは勝負に加われませんでした(5位入賞)から、次は最後まで先頭集団にいたい。そして勝負をしたいですね」

 長年指導してきた三井住友海上陸上部監督の鈴木秀夫氏は、土佐をこう評する。

 「もともと強い気持ちをもっているんです。それを引き出してあげるのが練習。ふたつが重なって土佐独特の粘りができている」

 そしてレースをこう振り返った。

 「落ち着いて走っていましたね。終盤、あと4kmくらいのところで誰か出てくれないかなと思っていたら、出てくれた。あれがよかった。あのまま一緒に行くと、最後にスピードの違いが出て不利になる。ばらけて、ちょっと後ろに下がって粘っていく。そうすれば土佐本来の走りができるのでちょうどよかった」

 鈴木監督も、そして土佐自身も認めるように、スピードの面では一流とはいえないかもしれない。しかし、土佐には、他の誰にも負けないものがある。

 思えば、アテネ五輪代表に決まったときがそうだった。'04年の名古屋女子マラソンに故障続きで万全でないまま出場。30kmすぎに大きく引き離されながらも逆転優勝で五輪代表をつかんだのだ。

 東京に戻った土佐は、久しぶりの休暇を2週間とって、松山へ帰る。

 「長いといえば長いし、短いといえば短いし。休みが明けたらまた練習です」

 逆境にあっても誰にも負けない粘りと執念を武器に、土佐はアテネの雪辱を果たすため、北京を目指す。

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