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水泳界の奇人そのまんま。 

text by

井本直歩子

井本直歩子Naoko Imoto

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posted2004/10/07 00:00

水泳界の奇人そのまんま。<Number Web>

 本来ここは本の内容を紹介する欄なのだろうが、本書の構成を担当した藤島大氏に取材を試みたら、散々奥田精一郎氏の話で盛り上がり、仕舞いに「あなたの思った通り書いた方が面白い」と言われた。

 そこで、イトマンスイミングスクール出身、奥田会長の教え子である私が、自由に書かせていただく運びとなりました。

 偉人にして「奇人」。奥田会長のことは、もっと広く世に知られるべきだと常々思っていた。藤島氏が手がけることになったと聞き、巧みに言葉を操る氏が会長をどう表現するか楽しみにしていたら、“聞き書き”になった。つまり、奥田会長の味のある語り口調がそのまま残されている。私はこう解釈した。会長の“しゃべり”が藤島氏の筆をも黙らせた! と。

 おかげで『叱るより、ささやけ』は、読んでいると会長の声が聞こえてくる、嬉しくてちょっと奇妙な枕元の一冊になった。しかしそれではさすがに眠りに就きにくくなったので、残念ながら枕元からは遠ざけたが、今では会長が私の部屋の本棚で幅をきかせ、物凄い威圧感を放っている。そのくらい本書は、奥田精一郎そのまんま、である。

 本書を読んでいると思い出すことが多い。イトマンの合宿地、和歌山・上富田の水のエピソードもそのひとつ。

 「ここは硬水や。マグネシウム入っとんねん。ここで練習したら強なるでぇ」

 あとにも先にも、プールの水の性質を説く人には出逢っていない。確かに、その水は重たくて泳ぎにくかった。田んぼと蜻蛉とおいしい空気に囲まれたそのプールで、15年前、中学生の私たちはバシャバシャと泳いでいた。会長は自由形の私に、「おい、バタフライに負けたらあかんがな」と、プールサイドで自転車に乗りながらゲキを飛ばしていた。当時70歳を超えようという頃、練習に現れない日は一日もなかった。

 実のところ、中1でイトマンに入ってから、会長と話をしたことはあまりなかった。会長は一つ上で同じ種目の千葉すず先輩が大好きだった。私のことは見向きもしていないように感じていた。

 高校3年のある大会で、会長にいつものように挨拶にいくと、声をかけられた。その言葉が何だったかはまるで思い出せないのだが、「ああ、この人はずっと見ていてくれたんだ」と涙が出た。

 それからというもの、会長と私の距離はぐっと狭まった。目指していたバルセロナ五輪の代表を逃がしたことを、「君をバルセロナ五輪に行かせてあげられなかったのはワシの責任」というのが会長の口癖だった。

 本書にある私自身の進学のくだりは、人生の転機となった忘れられない思い出である。アトランタ五輪を1年半後に控え、クラブを変わろうと思っていた。だが、イトマンを出ることなどあり得ない、という雰囲気があった。私は意を決し、恐る恐る会長に相談した。その時の言葉は、今でも鮮明に憶えている。

 「慶応へ行きなさい。君をバルセロナに行かせられなかったのはワシの責任やから、アトランタは自分の決めた道で目指しなさい」

 五輪代表に決まると、よそのチームのジャージを着た私を心から祝福してくれた。

 84歳になる今も、その姿は健在。久々に大会で会うと、必ずこうまくしたてる。

 「若いモンが元気ないねんもん。失敗したらかなわん。まかせられへんわ」

 本当に、パワーと情熱の塊のような人だ。

 会長へ。御身体にくれぐれもお気をつけて。

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