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お正月番組に感じた、ボーダーレスの危うさ。 

text by

弓削高志

弓削高志Takashi Yuge

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photograph byShinji Akagi

posted2007/01/25 00:00

お正月番組に感じた、ボーダーレスの危うさ。<Number Web> photograph by Shinji Akagi

 イタリアから里帰りし、数年ぶりに日本で年越しをした筆者だが、年末年始に日本のTVで流れたスポーツ番組を少々奇異に感じた。スポーツとエンターテイメントの境界が曖昧すぎるのだ。

 実業団ニューイヤー駅伝(TBS)では、ランナー走行中にスポンサー絡みで同局新ドラマ関連グッズのカレーパン配布。高校サッカー選手権(日テレ)決勝では、ハーフタイムにピッチのすぐ脇で歌手プロモーション。そもそも、権威も歴史もあるはずの各大会に毎年変わる「イメージソング」って何なのか?

 昨年、ドイツW杯決勝戦での国内視聴率が91%を越えたイタリアでもコメディアンや歌手が歌い踊る娯楽番組は盛んだが、スポーツ番組との一線はしっかり線引きされている。

 例えば、国営放送RAIの御意見番的スポーツ番組「ドメニカ・スポルティーヴァ」は、本放送開始から実に53年の歴史を誇る。番組のメインテーマは無論サッカーだが、試合映像を交えながら多彩なゲストらが映像を挟んで激論を交わす姿勢は一貫している。サッカー関係者だけでなく、陸上やF1、自転車など別競技のトップ選手や監督、さらに同国を代表するスポーツ紙デスクが生放送で語るコメントはつねに興味深い。

 スタジオには紅一点やコメディアンも起用されるが、試合やレースの決定的場面についての議論で意見を求められることは決してない。あくまでスポーツの現場にいる人間を重視し、さまざまな視点から競技そのものを掘り下げる番組作りの姿勢は徹底している。言うなればスポーツとバラエティ、それぞれの分野での職分と権威が特化していて、それに伴う尊厳が製作者側と視聴者側の共通理解として根底にあるということ。

 曖昧でボーダーレスな番組作りは日本特有の現象だがそれは、TVマネー、マーケティング、マーチャンダイジングが進んだ結果なのだろう。だが画面から見えてくるものには疑問符がつく。欧州に「スポーツ報道」はあっても、日本の番組表にある「スポーツ・バラエティ」という概念はない。何に対しても盲目的な欧州型信仰は愚かしいだけだが、少なくともスポーツ番組としてのTVコンテンツには一本芯が通っている。「何でもあり」は「何もない」に等しいのだ。

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