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「あの日の感覚は今も覚えています」SH齋藤直人が語った“ユタカさん”とリーダー論《ラグビー日本代表インタビュー》

2024/02/06
いよいよラグビーW杯イヤーを迎え、日本代表選手たちが胸に秘める思いとは――。隔号連載第1回はジャパンのアタックを牽引する若きスクラムハーフの3年間の歩みにフォーカスする。

 列島がW杯の熱狂に包まれる1カ月前、2019年8月31日。齋藤直人は早大の主将として、長野県菅平で行われた関東大学ラグビー対抗戦の開幕戦、日体大戦に臨んでいた。試合は早大が68-10で勝利。試合後の会見が終わったところで、W杯の日本代表が発表されたね、と齋藤に声をかけた。W杯の最終登録メンバー31名はその2日前、8月29日に発表されていた。気軽な声かけのつもりだった。だが齋藤は「発表されたメンバーリストを見て、悔しさがこみ上げてきました」と、思いがけず強い調子の言葉を返してきたのだった。

「あの日の感覚は今も覚えています。'19年は候補合宿に一度も参加していなかったけど、前の年は候補合宿に参加したこともあったし、W杯を狙える位置にいると認識していた。でも'19年は自分のケガもあって、W杯の代表に選ばれるのは現実的じゃないな……と感じていた。だけど、発表されたW杯メンバーのリストを見て、改めて、本気でそこを目指していなかった自分自身がすごく悔しくなったんです」

主将を務めた早大4年時は宿敵・明大を破って大学日本一に Aki Nagao
主将を務めた早大4年時は宿敵・明大を破って大学日本一に Aki Nagao

 同じポジションで誰が選ばれたということではなく、本気で狙っていなかった自分の意識、姿勢に対する悔しさなのだ。

「W杯は……いちファンとして、単純に楽しんでいました。でも、体の小さい選手や若い世代の選手が活躍していたことは刺激になりました」

 優勝した南アフリカのWTBコルビは身長171cm、SHデクラークは172cm。165cmの齋藤と大差ないサイズだ。フランスのSHデュポンは学年で1つ上だが、W杯の時点では齋藤と同じ22歳。実際、エイジレベルで対戦した経験もあった。W杯では、自分と違わないプロフィールの選手たちが活躍していたのだ。

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photograph by Takuya Sugiyama
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