稀代の名レスラー・三沢光晴が2009年6月13日、試合中の事故で天国に旅立ってから13年が経つ。川田利明は高校時代から足利工大附(栃木)の1学年上の先輩・三沢と同じ釜のメシを食い、全日本ではタッグパートナー、ライバルとして激闘を繰り広げた。丸藤正道は全日本入門後、付き人として濃密な時間を過ごし、ノア旗揚げ後も行動をともにした。丸藤は現在、リング上だけでなく、プロレス事業会社「サイバーファイト」の副社長としても「ノア」の看板を守り続ける。
2人から見た素顔の三沢は、どんな人間だったのだろうか。
川田 高校に入学してレスリング部に入ったら、顧問の先生が「こいつもプロレスラーを目指しているんだ」と紹介してくれて。部には厳しくて理不尽な先輩もいたけど、三沢さんはそうじゃなかった。変わった人だなあ、というのが第一印象。夜になると寮を出て、どこかに遊びに行っちゃう(笑)。朝練が5時半から始まるんだけど、みんなが練習している時に始発で帰ってきて、先生に見つかって大変だったよ。リング上でも一緒なんだけど、怖いもの知らずで、リスクとかを考えずに行動する人だったからね。丸藤は高校(埼玉栄)を卒業して、全日本に入ったんだよな。
丸藤 18歳で社会に出て、初めて接した大人が三沢さんでした。練習生の時から付き人をやらせてもらえたんです。体育会系的な感じは全然なかったですね。雑用も少なかったですし。ただ、飲み過ぎた時の三沢さんは凄かった(笑)。知り合いの車にセントーンして、ボディがベコッてへこんじゃって。酒飲んでいるから、その時は痛くないみたいなんですよ。
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