#1047
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[指揮官・高津臣吾の原点]戦友の想いを背負って――'92&'93年日本シリーズ秘話

2022/03/19
西武との死闘を制した瞬間、高津は吠えながら拳を天に突き上げた
現指揮官が「いちばん思い出に残っている試合」と語るのは、'90年代初頭、西武との日本一を懸けた伝説の頂上決戦。緊迫のマウンドで守護神は、いくつもの無念を晴らそうとしていた。

 2021年、「絶対大丈夫」のパワーワードとともに、ヤクルトを20年ぶりの日本一に導いた高津臣吾監督に、「これまででいちばん印象深い試合は何ですか?」と尋ねたことがある。

 このとき彼が挙げたのは、'93年日本シリーズ第4戦だった。

「これまでの野球人生でいちばん緊張した、いちばん興奮した、いちばん難しかった、いちばん思い出に残っている試合です」

 この日の高津は打者4人に対して28球を投じている。しかし、体力面よりも精神面の疲弊が大きかったという。試合後にはいくら水を飲んでものどの渇きは癒えず、平静を取り戻すこともできず、記者との受け答えも満足にできなかったのだ。

 後に何度も日本一のマウンドを託された。メジャーリーガーとしてアメリカでもしびれる場面に登板した。それでも、高津の脳裏に浮かぶのは'93年の第4戦だった。

 4勝3敗で西武ライオンズを下し、15年ぶりの日本一に輝いた'93年日本シリーズ。この大舞台で3セーブをマークして日本一の立役者となった。彼の野球人生に大きな影響を与えた思い出の熱戦。

 高津臣吾と'93年日本シリーズ――。

 それをひも解く前に、その前年である'92年日本シリーズから振り返ってみたい。

 '92年、野村克也監督率いるヤクルトは14年ぶりにセ・リーグを制覇した。待望の日本シリーズの相手は、当時黄金時代を迎えていた森祇晶率いる西武ライオンズだった。

 この年、高津はプロ2年目を迎えていた。一軍では5勝をマークしていたものの、決め球を欠いており、日本シリーズの晴れ舞台でのベンチ入りはかなわなかった。後の代名詞となる「遅いシンカー」を習得するのは、この翌年のことだった。

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photograph by Takao Yamada

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