猛暑のなかの8月6日。つい4日前に7月場所千秋楽を終えたばかりの照ノ富士の姿が、母校の鳥取城北高校にあった。
「優勝報告の挨拶に行ったんですが、相撲部の後輩たちも喜んでくれていました。モンゴルから留学して、日本の文化を初めて学んだところでもある、僕の原点ですから。ある意味『初心』に帰ったというか」
それは、つかの間のリフレッシュだった。
2015年7月、初土俵から25場所という、史上4位のスピードで大関に昇進した照ノ富士だったが、両膝を故障し、糖尿病、腎臓結石を患う。'17年9月場所での大関陥落後は、スピード出世のブーメランが返るように序二段まで番付を落としていった。
嬉しいよりも、「ありがとう」と。
そんな元大関が2年半の月日を掛けて再入幕し、幕尻の番付ながら、新大関朝乃山との優勝争いを制したのだ。自身にとっては実に5年ぶりの優勝で、師匠である伊勢ヶ濱親方から優勝旗を手渡された。
「グッとは来ましたね。その日を夢見て頑張って来ましたから。前回の優勝額が下りる(はずされる)までに、また飾りたいという想いがあったんで。心の中で自分に『できたよ』というのはありました」
表彰式では、館内に飾られていたその優勝額をじっと見つめた。『地獄を見た男の復活優勝!』との見出しがスポーツ紙に躍る、快挙ともいえる復活劇。しかし主役の照ノ富士はおよそ優勝者らしくないほどに、その覇者の顔には歓喜の涙もこぼれる笑みも見えなかった。
「自分は、嬉しくて泣いたのは初めて幕内で優勝した時だけです。悔しくて泣いたのは、たくさんあったんですけど……。みなさんが『おめでとう』と言葉を掛けてくれましたが、嬉しかったというよりも、落ちた時にも変わらず“2つの顔”を見せずにずっと応援してくれていた人に、僕のほうが『ありがとう』と言いたかった。『みんなのお陰です』と。もし、いなかったら、ここまでやらなかったわけだから」
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