たとえ逆境でも敗北は忘れ、次なる戦いに闘志を燃やせ。
それこそが一流のマンU選手の証。
今から遡ること7年。
2005年の夏、元韓国代表のMF朴智星(パク・チソン)はマンチェスター・ユナイテッドに入団した。世界最高峰のクラブで初のアジア人プレーヤーとなった。
入団当初は厳しい目に晒され、こんな言葉も浴びせられた。「ユニフォームを売りに来たのか?」「いいプレーは見せるだろうが、最高にたどり着く機会はなかなか得られないだろう」
それでもアジア選手への偏見を乗り越え、7年で205試合出場、27ゴールを挙げた。'09年にはアジア人プレーヤーとして初めてチャンピオンズリーグ決勝の舞台で先発メンバーに名を連ねた。敗れたものの、ローマの地でバルセロナと対戦した。今年7月、QPRに移籍した際には、マンチェスター地元紙が大特集を組んでその実績を称えている。
筆者は、パクが京都パープルサンガ在籍の19歳の頃から取材をし、インタビューはマンチェスター現地取材を含め6度ほど行なったことがある。さらに'10年10月には、彼の自叙伝『名もなき挑戦――世界最高峰にたどり着けた理由』日本語版翻訳も担当した。そこに記された言葉に、“香川がマンUで成功するためのヒント”が隠されている。
<教訓1> チーム内での立ち位置を自覚する。
もし、パクがマンUに残っていたら……香川と2列目のポジションを争うことになったか? 確かに表面上は、イエスだっただろう。
しかし、香川とパクの存在理由は全く違うものになっていたはずだ。
パクは自叙伝でこんな話をしている。
「'08年4月、ミドルスブラでのアウェーゲームでのことだ。季節外れの雪が降っていたその夜、1-2とリードを許していた後半に途中交代で投入された。10分経った頃に、ルーニーの同点ゴールをアシストした。試合後、新聞での評価が印象的だった。『Great Cameo(偉大なる助演)』。これがまさしくマンUでの自分への期待値なのだ」
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