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「甲子園出場後、4人が東大に合格」46年前、“都立の超進学校”はなぜ奇跡を起こせたのか?「同期の3人は初心者、グラウンドは共用」エースに聞いた真相
posted2026/08/27 17:02
赤い三角屋根が特徴的な国立駅の旧駅舎。1980年、国立高校の甲子園出場が決まると同駅前からパレードが行われた
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
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JIJI PRESS
「どうやったら私立に勝てるんだ」重ねた猛練習
1978年に国立高校の野球部に入部した市川の同期のうち、3人は野球初心者だった。驚くべきことに、中学時代にバドミントン部やブラスバンド部に所属していた選手が、3年の夏に甲子園の土を踏むことになる。
グラウンドは野球部だけのものではなかった。サッカー部、ラグビー部、ハンドボール部、陸上部と共用するため、バッティング練習の時間は限られた。「日によっては一人3本打って終わり」という状況から必然的に生まれたのが守りの野球だ。市川というエースを軸に、堅守とバントと選球眼でロースコアの試合をものにする戦い方を徹底した。
投手・市川の練習量も並ではなかった。2年生からは「真っ直ぐだけで300球」という投げ込みを自らに課した。「勝つためには8、9回にどれだけちゃんとした球を投げられるか大事だ」という監督の言葉を受け、「どうやったら私立に勝てるんだろう」と考え続けた末に行き着いた答えだった。
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3年生の夏、市川はサイドスローに転向し、大会直前にはツーシームを習得してぶっつけ本番で実戦投入。西東京大会の初戦こそ苦しんだが、その後のチームは静かな確信に包まれていた。
「途中からどの試合も負ける気がしなかった。絶対に勝てると思っていたわけじゃないけど、みんなと話していても『点を取られなければ負けないよね』という感じでした。みんながゾーンに入っていたということなのか。なんであんなに落ち着いていられたのか、今でも不思議なんですよ」
佼成学園との準々決勝では延長18回引き分け再試合を制し、駒大高との決勝でも完封。全8試合81イニングを市川は一人で投げ抜き、「鉄腕」と称されることになる。
46年後も当事者が「不思議」と語る、あの夏の魔法の正体とは。そして甲子園出場後、市川を含む同期の4人が東京大学に進んだ国立高校の“文武両道伝説”の真相とは。本編の証言の中で、より詳しく描かれている。
<続く>
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この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。
