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「以前なら弱音、グチっただろうけど」W杯落選→米国でメッシとも対戦→32歳引退、元日本代表FW久保裕也のいま「永住権を…子供たちも楽しそうで」
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ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byKiichi Matsumoto
posted2026/05/24 06:04
現在はアメリカ在住の久保裕也。32歳での引退を選んだ元日本代表FWが話した今と、今後の人生プランとは
「これまでと違うポジションでもチームに貢献できたと感じられたときは、やはり楽しかったですよ。ただ、試合ごとにポジションや起用法が変わる感じだったから、その準備のことで頭がいっぱいでした。そうした日常を送るなかで、長期的な目標や目指すべきプレーヤー像みたいなのがなくなったという側面はあるかもしれないですね」
では、後悔ばかりだったのか。もちろん、そんなことはない。
「結局、選手は監督に求められたことをやるしかないんですよ。嫌なことでもやれる忍耐力――ある意味で“日本人的な感覚”はすごく身についたなと」
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そう言って久保は笑う。そして、そんな戦いを6シーズンも続けたから、今は胸を張れる。
「自分の望むポジションで使われないからと移籍することもできたと思います。でも、それでは、その環境から逃げる気がして絶対に嫌でした。この環境で頑張ろう、向き合おうと自分で決め、それを最後まで貫けた。そこは良かったなと思いますね」
五輪とW杯選外では他責思考になっていたけど
何より、そういう姿勢で戦うことなど、かつての自分には出来なかった。
「若いころは、自分の望んでないポジションでやるように指示されたら、代理人にグチを言ったり、不満そうな態度を見せたり、あからさまに嫌な顔をすることもよくありました」
望まないポジションで試合に起用され、チームの結果が伴わなければ、「監督の見る目がない」と言い訳するような選手だった。
「結果が出ないのは、自分ではなくて、周りのせい。そんな他責思考になっていたんですよ」
22歳のとき、内定していたリオ五輪のメンバーから外れることになった。24歳になり、夢のW杯出場まであと一歩に迫りながら、そのメンバーから漏れた。それ以外にも、自分ではコントロールできない状況に翻弄されたことが何度もあった。そして、多くの場面で、それを誰かのせいにしていた。
だが、そんな久保はもういなかった。
「アメリカに行ってからは『本来のポジションではなくても、結果を出す人はいる』というように考えに自分を持っていけた。そして、それを貫けました」
その過程でシンシナティからは2度も契約延長のオファーを受け、最終的には日本人最長となる6シーズンもプレーした。引退しようという方針をほとんど固めてからも、オファーをいくつももらえた。
それで十分だった。
「結局、いろんなことが起きるんですよ。それを他人のせいにしていたら、次に進めない。『自分に向き合う』ということを学んだ気がします。大きな目標をもう見出せなくなっていたので、最後の契約が満了する前にやめることもできた。だけど、それでは逃げる感じがして、嫌でした。
僕は、自分と向き合いながら戦い続けられた。そんな自分の経験を、生き方を、今後の財産にしたいですね」
米国永住権を取得…子供たち、毎日楽しそうで
久保はこれからも当面はアメリカを拠点に活動するつもりだ。永住権も取得している。

