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「1年目の清原和博の方がはるかに上」2年目の“若造”松井秀喜はなぜ覚醒したのか…対戦相手の証言「普通の選手とは違う大きさを持った打者」
posted2025/09/29 17:35
高卒1年目は57試合出場11本塁打、2年目には全130試合出場し20本塁打を放った巨人・松井秀喜
text by

鷲田康Yasushi Washida
photograph by
JIJI PRESS
発売中のNumber1127号に掲載の[証言構成]松井秀喜「そして若き怪物は目覚めた」より内容を一部抜粋してお届けします。
松井秀喜の第一印象は「とくかく身体がでかい」
これは松井秀喜が、プロ2年目の“若造”だった頃の話である。
1994年4月9日。'92年のドラフトで星稜高校から巨人に入った松井は、この日、プロ2年目のシーズンをスタートした。
プロ1年目のシーズンは2度のファーム落ちを経験したが、最終的には打率2割2分3厘ながら、57試合で11本塁打をマーク。高卒1年目としては非凡な長打力を印象付けて2年目の開幕を迎えていた。
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開幕は広島2連戦。巨人監督の長嶋茂雄は松井を「3番」に抜擢し、その抜擢に応えて松井はいきなり2本塁打を放った。
1本目は初回だ。
マウンドは抜群の制球力から「精密機械」の異名を誇った北別府学。その立ち上がりに1番のダン・グラッデン、2番の川相昌弘の連打で1点を先制して、なお無死二塁で松井は第1打席に入った。
4球目。北別府の甘く入ったカーブをとらえた打球は、東京ドームの右翼席中段に消えていった。そして4回には2番手右腕・紀藤真琴から、今度は逆方向の左翼席に2号2ランを叩き込んだのである。
「初めて松井を見た印象は、とにかく身体がでかい。顔もゴツくて、耳たぶなんかこんなデカいんか、と。これがゴジラか、とね。ただ僕はまだあの頃の松井には、打者としてあまり怖いという感じはなかった」
こう語るのはこの2本の本塁打をマスク越しに見た広島の捕手・西山秀二である。
「実際にマスク越しに見た感じでは、確かにスイングスピードは高校を出たばかりとしては速かったけど、プロのレベルではまだまだでした。プロの変化球にはついてこられず前に出されたりしていたし、自分が対戦してきた中では1年目の清原(和博)の方がはるかに上という感じでした」
西山にすれば松井が北別府から放った一発も、あくまで北別府の失投である。ただ一つだけ印象に残ったのは、その失投をとらえたインパクトの瞬間の爆発するようなエネルギーだった。
「これだけは最初から特別でしたね。バットがボールに当たった瞬間に、ボールを潰すような感じでエネルギーが爆発する。その爆発力が長距離打者独特で、最初からちょっと違ったのは確かです」
普通の選手とは違う大きさを持った打者
同じように初めて見た時から松井のオーラを感じていたのは、当時の広島の主力打者の一人だった小早川毅彦だった。

