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佐々木朗希の“不調でも、ケガでもない”最大の問題とは? 復帰まで「調整と言うより“肉体強化”」論点ズバリ…岩隈久志でさえ「体力不足」と言われた1年目
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四竈衛Mamoru Shikama
photograph byJIJI PRESS
posted2025/07/20 11:04

メジャーのスタッフとともにトレーニングに励む佐々木朗希
その後、佐々木はアリゾナ州のキャンプ施設などマイナーではなく、本拠地ドジャースタジアムで、メジャーのスタッフの指導を仰ぎながらトレーニングとリハビリを開始した。ノースローの時期を含め、ゴムチューブなどで負荷をかけたランニングを繰り返すなど、調整と言うよりも「強化」に主眼を置く、キャンプ中のようなプログラムが組まれた。実際、佐々木は万全な状態で開幕を迎えたわけではなかった。オフ期間は、ポスティング制度による各球団との交渉が1月中旬までずれ込み、ビザ取得の遅れもあり、チームに合流したのはキャンプイン直前だった。しかも、他球団より1週間ほど早く日本で開幕し、3月19日の第2戦で初登板に臨んだ。戸惑いの多いルーキーの佐々木ならずとも、調整は簡単ではなかった。
あの岩隈でさえ「体力不足」と言われた1年目
メジャーの場合、球団によってリハビリ、スローイングプログラムは異なる。特に、ルーキーら若手の育成プランは、選手個々のデータを基に細分化されている。
2012年、マリナーズへ入団した岩隈久志は、開幕ローテーションの一角として期待されながらも、開幕は救援投手としてブルペン待機からスタートした。最多勝2度をはじめ、日本球界で11年間投げ続けてきた30歳(当時)のベテラン右腕が、開幕前の時点でメディカルスタッフらから「体力不足」と分析された。他のメジャーリーガーと比較した場合、右肩周囲の筋力が不足しており、先発投手として中4日で1年間ローテーションを維持することは困難と判断された。
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その後は、メジャーに所属しながら、肩周辺のインナーマッスル、体幹などを徹底的に強化した。救援投手として実戦登板を並行する中、徐々に球速がアップし、筋力の数値も一定のレベルに達したことで、7月2日に初めて先発のマウンドに向かった。ローテーションに定着した球宴以降は、16試合に先発し、最終的に9勝5敗の成績を残し、1年目を終えた。当時、岩隈は「米国の野球を体で覚えたのが良かった」と、開幕時の悔しさをのぞかせる一方で、確かな手応えも口にした。その後、13年にオールスター選出、15年にノーヒッターを達成するなど、球界屈指の投手としての基盤を築いたのが、体力強化に励んだ1年目の序盤だった。