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アイルトン・セナに“勝利への執念”を叩き込まれたホンダが、伝説の継承者フェルスタッペンと歩む新たな歴史

posted2022/10/14 06:00

 
アイルトン・セナに“勝利への執念”を叩き込まれたホンダが、伝説の継承者フェルスタッペンと歩む新たな歴史<Number Web> photograph by Getty Images / Red Bull Content Pool

決勝レースは雨で混乱したものの、フェルスタッペンとレッドブルは週末を通じて速さと強さを見せつけた

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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「鈴鹿に3年ぶりに戻ることができて、本当にうれしい。鈴鹿は素晴らしいコースというだけでなく、僕にとってはとても特別な思い出がある場所だから……」

 そう語ったのは、日本GPを制し、ドライバーズ選手権2連覇を達成したマックス・フェルスタッペン(レッドブル)だ。

 フェルスタッペンがグランプリ期間中に初めてF1マシンを走らせたのが、8年前の2014年10月3日、鈴鹿サーキットで行われた日本GPのフリー走行1回目だった。フェルスタッペンは17歳3日という若さでトロロッソのマシンを駆った。いまなお、おそらく今後も永遠に破られないであろう史上最年少出走記録だ。

 フェルスタッペンにとって鈴鹿が特別な存在となっていた理由は、もうひとつある。それは鈴鹿はホンダのホームコースで、フェルスタッペンはいまから20年以上も前に、ホンダと出会っていたからだ。

 それは1998年の冬のこと。ホンダはマシン製作も行うコンストラクターとしてF1参戦を目指してテストを開始。翌年、そのテストドライバーに任命されたのが、フェルスタッペンの父親、ヨス・フェルスタッペンだった。ヨスは息子のマックスを連れてサーキットに現れ、テストマシンのコクピットに座らせた。フェルスタッペンが初めて乗ったF1マシンはホンダだったのだ。

フェルスタッペンが信じたホンダの可能性

 フェルスタッペンがホンダと再会したのは15年。トロロッソからF1にデビューし、翌年レッドブルに移籍して初優勝を遂げたフェルスタッペンとは対照的に、ホンダはもがき苦しんでいた。そのホンダは、19年からレッドブルとパートナーを組むことになった。当時の決定に対する周囲の雰囲気を、フェルスタッペンは次のように述懐する。

「ほとんどの人たちが『どうかしている』『うまく行くはずがない』と言っていた。だって、当時のホンダは1勝もできず、苦しい時期を過ごしていたからね。でも、僕はホンダを信じていた」

 フェルスタッペンがホンダに信頼を寄せていたのは、ホンダの仕事に対する姿勢が理由だった。

「ホンダのスタッフは常にひたむきに仕事をする。言い訳なんかせず、日々向上のために努力していた。この世界で成功するためには本当に尊いことで、いつかその努力は報われると信じていた」

 その姿勢をホンダに叩き込んだのは、かつてホンダ・ドライバーとしてチャンピオンに輝いたアイルトン・セナだった。当時セナと仕事し、その後もホンダのF1活動に尽力した田辺豊治エンジニアは次のように語る。

【次ページ】 母国・鈴鹿で勝利する価値

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