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【引退】メジャー63勝・岩隈久志の真骨頂は、自分を客観視して黙々とはい上がる泥臭さだった

posted2020/11/07 06:00

 
【引退】メジャー63勝・岩隈久志の真骨頂は、自分を客観視して黙々とはい上がる泥臭さだった<Number Web> photograph by KYODO

18年9月、捕手役のイチローにボールを投げる岩隈。マリナーズからはコーチを打診されたが固辞し、19年から日本球界に復帰した

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四竈衛

四竈衛Mamoru Shikama

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 近鉄、楽天、マリナーズなどで活躍した岩隈久志が、日米通算21年間の現役生活にピリオドを打った。

 最後の2年間は巨人で再起を目指したが、右肩の故障には勝てず、惜しまれながらもユニホームを脱ぐ決意を固めた。引退会見で残した「感謝というひと言に尽きる」との言葉に、岩隈の人生観が凝縮されていた。

 2012年のメジャー移籍後、13年にオールスター選出、15年にはノーヒッターを記録するなど、先発投手トップクラスの座を築き上げた一方、岩隈が乗り越えてきた苦節の領域は、さほど語られていない。

筋力不足を理由に、開幕先発ローテーションから外れた

 09年WBCでは2連覇に大きく貢献するなど、日本を代表する投手となっていたとはいえ、岩隈は華々しくメジャー入りしたわけではない。

 10年オフ、ポスティング申請した際、アスレチックスが入札したものの、交渉は決裂し、楽天に1年間残留した。

 翌11年オフ、マリナーズへ移籍した直後は、筋力不足を理由に、開幕先発ローテーションから外れた。

 救援陣の一角として開幕した後もなかなか登板機会に恵まれず、初登板はチーム15試合目の4月20日。主に敗戦処理からスタートしたこともあり、注目度は決して高くなかった。

 待望の初先発は、7月2日。開幕からはや3カ月が経過していた。

「はい上がる気持ちを持ちながらやってこられました」

 結果がすべての世界で、無用な言葉は意味を持たない。

 自らの置かれた立場を客観視し、黙々とはい上がろうとする泥臭さこそ、岩隈の真骨頂だった。

 その後は、絶対的エースのフィリックス・ヘルナンデスに次ぐ先発2番手の座を勝ち取り、背番号「18」にふさわしい働きでマリナーズを支えた。

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