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18歳のルーキー根尾昂が明かした
憧れの人イチローへの想い。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byKiichi Matsumoto
posted2019/03/28 11:45
中日のゴールデンルーキー、根尾昂。二軍ウエスタン・リーグで経験を積み、一軍昇格を目指す。
あの頃よりも近づいた憧れの人との距離。
その後、根尾少年はスキー、学業も含めた数ある才能の中から、野球という道を選んでいくのだが、その「理由」が今回のインタビューでは大きなテーマになった。
そして、後から思うのは、ひょっとしたらその人生選択の、ひとつの道標になったのが、既成概念を打ち破りながら平成を駆け抜けてきたバットマンだったのではないか、ということだ。
間違いなく、根尾はイチローに憧れてきた。そこにはもう世代なんて関係ない。
「今、同じ日本にいるんですよね。東京に。なんかすごいなあ……」
根尾が公式戦デビューをした日、マリナーズのイチローは来日した。プロ野球選手という括りでいえば、同じ土俵にいると言えなくもない。あの頃よりもグッと近くなったように感じる憧れの人との距離に、不思議そうな表情をしていた。それはこれ以上ない「プロになった」という実感なのかもしれない。
「今夜、熟読させていただきます」
来日した当初、アメリカのメディアがイチローにこんな質問をしたという。
いつ引退するんですか?
それを聞くと、根尾はちょっと気色ばんだ。
「なんてこと聞くんですか! ああ、50歳と言わず、51歳になってもやってほしいです」
自分のことはつとめて客観的に、冷静に(それでいて秘めた熱量を感じさせながら)話すのだが、イチローのことになると感情があけっぴろげになった。
どれくらい話しただろう。
「これ、今夜、熟読させていただきます」
根尾は、憧れの人がカバーになった雑誌を抱え、寮の自室へ戻っていった。
今、根尾の部屋にはテレビがないという。必要ないのだという。そんな意志の塊のようなルーキーにとっても、やはりイチローは必要な存在なのか。
51歳になってもやってほしい。
18歳のルーキーがそう願った5日後、イチローは引退を表明した。
投手として150kmを投げ、甲子園優勝投手となり、打者としても甲子園のバックスクリーンへホームランを放り込む。これまでの物差しでは計れない才能がプロの扉を開け、そのタイミングでイチローが去っていく。
そういえば、1992年の鈴木一朗も確か、1年目は二軍で開幕を迎えていた。