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GK壊滅危機で台頭した磐田の救世主。
20歳の新星・志村滉、驚異の観察力。

posted2016/07/23 07:00

 
GK壊滅危機で台頭した磐田の救世主。20歳の新星・志村滉、驚異の観察力。<Number Web> photograph by J.LEAGUE PHOTOS

志村はルーキーの頃に「ポゼッションに関われるところ」も自身の特徴として語っている。将来的には磐田、そして日本代表の守護神を担える逸材だ。

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安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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 観察力。

 GKが非常事態に陥ったジュビロ磐田に現れた弱冠20歳の新星は、この能力をベースに一気に頭角を現してきている。

 20歳のプロ入り2年目のGK志村滉は、シーズン当初は3番手、4番手に位置する存在だった。磐田の正GKはカミンスキーと八田直樹という実戦経験豊富な2人が激しい定位置争いを繰り広げていており、そこに20歳の彼が入り込む余地はなかった。

 開幕戦は当然のようにカミンスキーがゴールマウスに立ち、ベンチには八田が入った。

 だが5月中旬、J1ファーストステージ第13節のG大阪戦前から状況は一変する。カミンスキーが練習中に股関節に違和感を訴えて離脱すると、G大阪戦からゴールマウスを守った八田も第14節の川崎戦後に負傷離脱となった。

 第1、第2GKが負傷でゴールマウスを守れなくなるという、まさに緊急事態。クラブに暗雲が立ちこめたが、“緊急要員”として出場した志村が“救世主”へと姿を変えたのだ。リーグデビューとなった第15節のFC東京戦で安定したゴールキーピングと、ピンチを防ぐビッグセーブを披露し、0-0と勝ち点獲得に大きく貢献。そこから彼はゴールマウスに立ち続け、現在までリーグ戦7試合連続出場。6失点(完封3試合)と安定したパフォーマンスを見せている。

中学時代の志村の才能に注目した人物がいた。

 彼はなぜ磐田の救世主となり得たのか。それこそが彼の持つ“観察力”だった。

 千葉県出身の彼は高校時代、名門・市立船橋では高校選手権千葉県予選敗退後、1年生にして守護神の座を掴み、そこからメキメキと頭角を現して来た。彼の能力にいち早く目をつけたのは、現在も市立船橋でGKコーチを務める伊藤竜一だ。伊藤自身も市立船橋出身で、高3時には高校選手権においてチームを初優勝に導いた人物だ。

 伊藤が志村を初めて見たのは、中1のときだった。志村は市立船橋とのつながりが深いヴィヴァイオ船橋SCに所属し、市立船橋が練習場としている船橋法典グラスポでも練習することが多かった。

 ある時、ボール回しに参加していた彼を見て、伊藤は「あまり背は高くなかったけど、ひょろひょろしていて、今後身長が伸びそうだったし、両足を器用に使うし、プレッシャーを受けても堂々とプレーしているので、『こういう子がちゃんとGKとして育てばいいよね』という話を関係者とした」という。

【次ページ】 市立船橋でGKの基礎を徹底的に叩き込まれた。

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