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なぜFA加入投手は新天地で苦しむ?
成功例・工藤公康に見る重大要素。 

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田口元義

田口元義Genki Taguchi

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photograph byNIKKAN SPORTS

posted2013/12/26 10:30

なぜFA加入投手は新天地で苦しむ?成功例・工藤公康に見る重大要素。<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

広島で前田健太らとともに投手王国の一角を担った大竹寛。巨人への移籍については「地元の関東でプレーしたかった」とコメントしている。

「早く治して結果を出さないと」という焦り。

 今年も涌井以外の3選手がそうであるように、FA権を取得できる頃にはほとんどの選手が30歳を過ぎている。「肩は消耗品」と捉えるのであれば、年齢を重ねる度に怪我のリスクが高くなるのは当然のこと。

「移籍当時は33歳でしたが、自分では『まだやれる』と自信があったから満を持してFA宣言をしたんです。でも、結果的に病気と怪我が最悪のタイミングで重なってしまったというか。自分としては、『早く治して結果を出さないと』と思って手術を決断したんですけどダメで。横浜ファンの人には本当に申し訳ないと今でも思っています」

 若田部健一は今もFAの話題になると少し顔がゆがむ。'03年にダイエー(現ソフトバンク)からFAで横浜(現DeNA)に移籍したが、3年間で1勝しか挙げられず'05年に戦力外。引退を余儀なくされた。

 他を納得させる結果を出せなければ、複数年契約は無意味に等しくなる。それどころか、「複数年だと甘えが出る」、「不良債権」と周囲から糾弾されてしまうのだ。

 FA選手は、極端に言えば「助っ人」としての役割を求められる。活躍して当たり前。痛打を浴びれば酷評される。常にプレッシャーと戦い続けなければならないのだ。

昨年巨人で12勝を挙げた杉内ですら苛まれた苦悩。

 '12年にソフトバンクから巨人へ移籍した杉内俊哉は、FA選手の苦悩を如実に物語っている男である。

 4年総額20億円。外様ながら「聖域」とも称される巨人の背番号18を与えられた。移籍1年目のシーズンは12勝。しかし、左肩痛によりポストシーズンでは1試合も投げられなかった。チームは日本一になったが、もし、クライマックスシリーズや日本シリーズで敗れるようなことがあれば戦犯扱いされていたことだろう。

 それでも、杉内は無理をしなかった。彼はその意図についてはっきりと言った。

「最悪のケースは、無理をして投げて肩をますます悪くして、残りの3年間、まともに投げられないことなんです。1年ずつちゃんと結果を残すことが求められているのはもちろんですが、僕の場合、4年契約というトータルのプレッシャーもあります。だから、1年だけ頑張って燃え尽きるわけにはいかないんです」

【次ページ】 数少ない成功例、工藤公康が語った不可欠な要素とは?

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