今週のベッカムBACK NUMBER
慈善活動と、“同性愛者のアイドル”の関係。
text by
木村浩嗣Hirotsugu Kimura
photograph byGetty Images/AFLO
posted2004/01/06 00:00
スペインではサッカー選手がサンタクロースになる。
クリスマス休みを利用して、選手たちはプレゼントを手に、病気と闘う子供や孤児たちを病院や施設に訪ねる――そんな光景がこの時期の風物詩となっている。
レアル・マドリーの世界のラウールから、私の住むサラマンカのローカルヒーロー、トマスまで(知らないでしょ)。スペインで“スポーツの王様”と呼ばれるサッカーの選手なら、グラウンド外でも社会的責任を負っていることを自覚している。慈善活動への参加は、その一つである。
残念ながらベッカムのサンタ姿を見ることはできなかった。まぁ警備を考えると、たとえ本人が希望しても実現は難しいのかもしれない。
その代わりと言っては何だが、12月15日にはスイスのバーゼルで、ロナウド、ジダンらとともに国連開発計画の貧困撲滅チャリティー試合に出場。100万スイスフラン(約8600万円)の収益金を上げることに貢献した。
これは素晴らしいことだ。
昨年1年間で2860万ユーロ(約38億円)を稼ぎ出したベッカムなら、わざわざスイスまで行かなくとも、ポケットマネーで1億円くらい出せたのでは、という疑問は残るが、それでも素晴らしいことに変わりはない。
その試合の数日前には、「レアル・マドリーが、イラクのスペイン軍駐屯地にスポーツ学校を開く」(12月11日)というニュースもあった。
日本のマスコミではこのニュースをもって、“慈善事業に熱心なレアル・マドリー”という論調もあったが、それは誇張というものだ。冒頭に述べたが、他のクラブも選手もチャリティーにはできる範囲で力を入れている。日本でニュースにならないだけだ。
とはいえ、「サッカーとバスケットボールで子供たちに笑顔を取り戻したい」という願いはいささかも陰ることはない。フロレンティーノ・ペレス会長と同様、私もサッカーには子供たちを幸せにする力がある、と信じている。
個人的なエピソードで恐縮だが、昨季私が監督するチームに、ある恐ろしい事故を経験した子供が入ってきた。
私自身、鳥肌が立つほどのショッキングな出来事で、その子がいかに深い精神的な傷を負ったか、とても想像できなかった。が、粗暴で我ままだった彼が、チームプレーを覚え、仲間に信頼され、試合で活躍し……を繰り返しているうちに、最も愛らしい子の一人になっていた。
サッカーには子供を幸せにする不思議な力があるのだ。
さて、クラブや選手の社会への貢献は、必ずしも金銭的なもの、物質的なものだけではない。私がベッカムに特に注目するのは、社会の価値観に一石を投じるオピニオンリーダーとしての面だ。
彼はタブーとされるものを、自ら破壊してきた。
たとえば、ゲイ雑誌の表紙にベッカムが現れたことがあった。
喜んでポーズを取り、その後のインタビューで、ゲイの間での人気を歓迎するコメントも残した。今や彼は彼らの間でも揺るぎないアイドルだ。開放的なイメージのあるヨーロッパだが、イギリスでもスペインでも同性愛者への偏見は根強い。たとえば、ラウールが同じことをすれば空前のスキャンダルになることは間違いない。が、ベッカムなら許される。それは同じスーパースターとはいえ、プレーでしか主張できないラウールと、ライフスタイルそのものが主張となるベッカムとの“質”の違いだろう。
ことは同性愛だけではない。
マニキュアを塗り、ピアスをつけて“男らしさ女らしさ”の曖昧さを笑い、その一方で、刺青で名を刻むという、アウトサイダーなやり方で親子愛を表明し、伝統的な父性を挑発。ついでに、スキンへッド→モヒカン→カチューシャ止め→ポニーテールと変遷する髪型から、ベッカムは次々とステレオタイプ化したアイデンティティを奪った。スキンへッドは極右の、モヒカンはロックンローラーの、カチューシャとポニーテールは女性のトレードマークであることを放棄したのだ。そして裸足……。レアル・マドリーでの最初のインタビューが掟破りのサンダル履きだったことは、連載の第1回目に指摘した。
こうした数々の横紙破りには、むろん眉をひそめる人もいるだろう。が、彼の言動に社会の偏見に挑戦するメッセージがある限り、私は支持する。
大金持ちベッカムは慈善活動へもどんどん参加するべきだ。が、たとえば同性愛者への共感も、彼なりの社会への貢献だと私は思う。