プロ野球亭日乗BACK NUMBER
おかわり君を開眼させた
1本のホームラン。
~松井秀喜もかつて通った道~
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byShigeki Yamamoto
posted2009/09/29 11:30
中村は左足付け根の炎症から9月10日に復帰。その後もホームランを量産しており、2年連続の40本を達成、ホームランダービーのトップを走っている
9月16日(日本時間同17日)のヤンキースタジアム記者会見場。
この日のトロント・ブルージェイズ戦に5対4でサヨナラ勝ちを収めたヤンキース、ジョー・ジラルディ監督の会見での出来事だった。
8回に左腕・ダウンズから起死回生の同点2ランを放った松井秀喜外野手に関する質問が飛んだ。
「彼は日本で多くの左投手とも対戦して経験を積んでいる。相手投手の左右を苦にしないのは監督として心強い」
指揮官がこう答えると会見の司会役を務めるジェイソン・ジロー広報部長が、ニヤッと笑った。
「いまイサオがクビを振っていたから、彼はそうは思っていないようだ」
松井の広報として日米のメディアを仕切っている広岡勲広報の方を指差し、こんなことを言うと会見場は爆笑に包まれた。
松井秀喜を成長させたのは、“松井キラー”の左腕投手だった。
「フッと遠山のことを思い出したんですよ」
会見が終わると広岡広報は首を振った事情をこう説明した。
遠山とは阪神タイガースで“松井キラー”といわれた左腕・遠山奨志投手のことだった。
当時の野村克也監督(現楽天監督)に「シュートを投げろ」と言われ、外角に逃げるスライダーとのコンビネーションで一躍左キラーとなった。1999年には松井を13打数ノーヒットに抑え、松井に「顔を見るのも嫌だ」と嘆かせた投手だった。
「でもあの年だけだよ。打てなかったのは!」
そんな広岡広報の言葉に反論したのが松井本人だった。
左投手の変化球に対していかにして肩を開かずに溜めて打てるか。これを契機に分かっていても、なかなか出来ない左腕対策に必死で取り組んだ。苦手との対戦が、松井を成長させるきっかけとなったのだ。
西武・中村剛也を開眼させたオリックス・香月良太。
おかわり君こと西武の中村剛也内野手が一皮剥けたといわれる。
ホームランダービーのトップを快走していた8月26日に左太ももの故障で登録抹消されたが、9月10日の復帰戦で37号を放つなど故障の影響はない。日本人としては久々の50発の大台への可能性も残している。
そんな中村を開眼させたのが、実はオリックスの香月良太投手だというのは、あまり知られていない。