欧州を行くBACK NUMBER
平山の負け惜しみの裏にあるもの。
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byPICS UNITED/AFLO
posted2006/09/20 00:00
あまりにも情けない幕引きだった。
8月30日、平山相太はヘラクレス・アルメロから戦力外通告を受けると、あっさりと日本に帰ってしまった。あれほどヨーロッパでプレーすることに憧れていたというのに。
1年間にわたって平山の通訳をしていた人物は、戦力外になった理由をこう説明する。
「今季の練習が始まった初日に、全てが決まりましたね。ブルート新監督が、平山が太っていること、オランダ語を話せないことに激怒したんです。印象は最悪になり、結局シーズンがスタートしても挽回することができなかった」
昨季までヘラクレスの監督は、元ジェフ市原のペーター・ボスが務めていた。平山の獲得に動いたのはボスだし、入団以来、常に平山のことを気にかけてくれていた。月に2度、通訳を介して戦術のレクチャーを行い、平山を一人前のストライカーに成長させようとした。
しかし、プロの世界で、いつまでもそういう甘い環境が続くわけがなかった。ボスがヘラクレスを強化した手腕を高く評価され、フェイエノールトのテクニカルディレクターに引き抜かれたのである。新監督の下では、当然のことながら平山は特別扱いされなくなり、恒例の戦術レクチャーも打ち切りになった。
もしかしたら、平山は1年目にボスの好意に甘えすぎていたのかもしれない。昨季、平山が太ることがあっても、マクドナルド禁止令が出るくらいで、それが解雇につながることはなかった。その基準のままで新監督に接してしまい、新監督を切れさせてしまった。
平山は帰国してからというもの、「オランダに馴染めなかった」、「オランダ語を話すのは無理」と、情けないコメントを繰り返しているが、オランダ時代の平山を知る人なら、彼が本心を語っていないことはすぐにわかるはずだ。
オランダ時代の通訳氏は言う。
「戦力外になったショックを、相太は必死に隠そうとしている」
平山はオランダ人の友人を作っていたし、カーニバルなどのイベントがあるとチームメイトといっしょに遊びに出かけた。「サッカーに集中するために、ヘアワックスをつけないようにしてるんです」と決意を語ったこともあった。目標に向かってひたむきに走り続けた時間を、本気で否定するわけがない。
Jリーグを経由せずにヨーロッパのクラブに入団するという挑戦は、ひとまず失敗した。それでもオランダで過ごした1年は、Jリーグや大学でプレーするよりも、はるかに多くのものを平山に与えたはずである。
今は負け惜しみを連発しているかもしれないが、それは体内でうごめいている悔しさの現われだと思いたい。
ヘラクレスの試合のコーナーキックのとき、平山は相手DFを両手で思いっきり突き飛ばして、自分の居場所を確保していた。日本人の縦社会に入っても、オランダで身につけた荒々しさを発揮していければ、再びヨーロッパへの扉が開くだろう。