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『ふたつの東京五輪』 第3回 「カラーテレビと開会式」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byPHOTO KISHIMOTO
posted2009/06/11 06:01
1945年8月6日生まれの聖火ランナーに託された思い。
現在の聖火とは異なり、東京五輪の聖火ランナーの掲げるトーチからは白煙が見事にたなびいていた。見栄えよく煙が出るよう、特別な細工が施されていたという
開会式のハイライトといえば、聖火の点灯です。最終ランナーは、早稲田大学競走部の坂井義則君でした。あの瀬古利彦さんたちを育てた名伯楽の中村清さんが早稲田の監督の時です。聖火ランナーはどのように聖火を持つべきか、どのようなフォームで走ると見栄えが良いかということを、坂井君は中村監督から厳しく指導を受けてましたね。相当重いあのトーチを、手を伸ばして高く掲げて走るのは、見た目以上に結構大変なんですよ。
坂井君は、1945年8月6日に広島県で生まれた人です。そう、原爆が投下された日です。投下から1時間半後に、三次市で生まれたと聞いています。彼に最終ランナーを託したことには、組織委員会、ひいては日本国全体の思いがこめられていたのでしょう。
カメラマンの執念がこもった3本の竹竿が……。
坂井君は階段を上ると、聖火台へ向かいました。いよいよ点火、というところで、驚くべき出来事がありました。聖火台の背後から、ポールといいますか、竹竿といいますか、長い棒が3本ほど、にゅっと聖火台の上に伸びてきたのです。
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実はこれは、通信社や新聞社のカメラマンの人たちが、点火の瞬間を撮りたい、とカメラを棒の先にくくりつけたものだったのです。今でしたらありえないことですが、私ばかりではなく、彼らもそれだけ必死だったのですね。
とにもかくにも、坂井君の手にしたトーチから、聖火台に火がともされました。すると、自衛隊のアクロバットチーム「ブルーインパルス」が、雲ひとつない青い空に、白いスモークで五輪マークを描き出しました。リハーサルの日にはなかった、どこまでも澄んだ青空でした。
この頃、カラーテレビが一気に普及したという話もありますが、まだ実際はそれほどでも無かったですね。ただ、後になってからの記憶で“カラーで見た”というような印象があるのかもしれません。白黒テレビはずいぶん広まってましたので、テレビ観戦というには十分な時代にはなっていたと思います。そして、私もこの頃から徐々にカラーフィルムを使い始めたという記憶が残ってます。
ついに、東京オリンピックが始まりました。
岸本 健きしもと けん
1938年北海道生まれ。'57年からカメラマンとしての活動を始める。'65年株式会社フォート・キシモト設立。東京五輪から北京五輪まで全23大会を取材し、世界最大の五輪写真ライブラリを蔵する。サッカーW杯でも'70年メキシコ大会から'06年ドイツ大会まで10大会連続取材。国際オリンピック委員会、日本オリンピック委員会、日本陸上競技連盟、日本水泳連盟などの公式記録写真も担当。
【フォート・キシモト公式サイト】 http://www.kishimoto.com/