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「本気で役員を目指す」つもりだった“一流企業の営業マン”が30歳で高校野球の監督になったナゼ…「高嶋先生を超えるには、急がないとヤバいと」 

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沢井史

沢井史Fumi Sawai

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photograph by(L)Fumi Sawai、(R)JIJI PRESS

posted2024/04/18 11:00

「本気で役員を目指す」つもりだった“一流企業の営業マン”が30歳で高校野球の監督になったナゼ…「高嶋先生を超えるには、急がないとヤバいと」<Number Web> photograph by (L)Fumi Sawai、(R)JIJI PRESS

智弁和歌山高時代は5度の甲子園出場を果たした道端俊輔。社会人での営業マン生活を経て、今年から鹿児島城西高の監督に

 当時は仕事、野球の練習の傍ら、高校野球に関するデータ収集にも時間を割き、昨今の高校野球界についても知識を習得していた。そんな中、道端は高校野球界のある点に着目していた。

「鳥取県勢が60年間、夏の甲子園で2勝以上していないことを調べていくうちに知ったんです。じゃあ、自分が鳥取県の高校の指導者になって、その歴史を変えたいなと。鳥取県の高校の方に手紙を書いて思いを伝えて、どこかの学校から気に留めてもらえたらと思ったんです」

通信教育で教員免許の取得を目指す

 社会人になって7年目の22年の春。指導者になるために通信で教員免許取得に動き出し、その傍らで鳥取県の複数の高校へ手紙を書いた。だが、ほとんどの学校からは返事がなく、断りの連絡があったりする中「そんな情熱を持った人が、ウチのような学校に来てもらってもいいのか」と戸惑いの返事をくれた学校もあった。

 鳥取で指導者になる、という目標が頓挫する中、夏の地方大会を控えた時期に、鳥取勢が甲子園で長く2勝以上できていないことを検証した、あるweb記事を目にする。さらにその夏の甲子園で準優勝した下関国際の坂原秀尚監督が、監督就任にあたり同校へ手紙をしたためたことがエピソードとして紹介された。

「自分も手紙を書いて監督になる思いを伝えていた時に(坂原監督は)結果を出されているので……。鳥取の事情が世間に広まったことと、坂原監督の成功例を見て同じ考えの人が増えるのではないかって思うようになったんです」

 翌年に30歳となる道端は、「決断の時は今なのでは」と思うようになった。

「高嶋先生を超える、教え子の自分が甲子園で68勝を挙げている先生に恩返しをするとなると、その68勝を超えることだと思ったんです。高嶋先生は30歳の時に甲子園で初勝利を挙げて、そこから43年で68勝している。これはもう、急がないとヤバいと思うようになったんです」

【次ページ】 智弁和歌山高の先輩を頼って…大阪へ!

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